呉竹でしたか、
2009年に校庭を芝生にする時から時々伺っています。
しかし校舎の建て替えのために芝生のグランドが使われることになってフェンスで囲まれました。
私は昭和42年3月、丹波橋の呉竹養護学校を卒業しました。卒業式の日、当時学年主任だったよしむら広三先生が卒業生15名に違う言葉を色紙に揮毫され贈って戴きましたが、私はこの「言葉」でした。何度も書いているように言語障害のある私は長年コンプレックスを持っていました。当時の級友たちには幼く見えたかも知れません。それがある人の勧めで小さい事ですが雨など除いて8年ほど毎日続けました。ボランティア活動も月1ぐらいですがお手伝い程度を何年間続けました。30代の頃です。自分でも頑張ったと言えます。そして今、コロナもあり美術館など高齢なので介助も・・・外出は近くのスーパーのみになりましたが現実を素直に受け取れるようになりました。人を助けて自分が助かる。私の自由と独立は70年もかかりました。
|