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2020年11月15日(日) 

 

 

>2020年11月14日 7時56分  >ロイター   

>[ワシントン 13日 ロイター] - ナッパー米国務副次官補(日本・韓国担当)は13日、日本と韓国に対し、中国政府による少数派イスラム系市民への対応や、香港や台湾を巡る動きで中国に反対するよう求めた。 [Marc E. Knapper] 

 

日本・韓国の中国政府に対する意思表示は非常に重要ですね。イスラム系市民・香港・台湾に関して中国政府の対応に強く反対することが必要ですね。      

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国であります。覇者の物語は、中国人の愛読書となっています。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけているのが現実です。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作りました。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい状態にあります。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ないのでしょう。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることには望み薄ですね。

 

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。・

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]     

 

>ブルッキングス研究所のシンクタンクが主催したオンラインイベントで、日本と韓国が中国と「非常に複雑で微妙な関係」を持っていることをワシントンは理解していると指摘。  

 

中国・韓国・日本は、同じ漢字圏に属していますからね。非常に複雑で微妙な関係にありますね。  

 

>「非常に重要な貿易関係やその他の関係があるという事実にかかわらず、私たちは皆、中国の不品行を目にすれば立ち上がって声を上げるべきだ」と訴えた。

 

そうですね。悪いことを ‘悪い’ と指摘することは、真の友情の証ですね。   

 

>ナッパー氏は、米政府が日韓に中国を「切り捨てたり、封じ込めたり」するよう求めているわけではないとしながらも、「韓国や日本などが立ち上がって、これらのことを代弁してくれることを期待している」と述べた。

 

同感ですね。民主主義や自由などの諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。中国政府は覇者の世界に住んでいてはいけない。日韓は立ち上がってこのことを強く代弁すべきですね。アジア人は政治音痴ではいられない。

 

 >また、「民主主義や自由を代表して発言する責任を受け入れることが、米国や韓国、日本のような国の責任だ」と強調した。

 

そうですね。米・韓・日 は、中国に対して不品行を強く非難すべきですね。民主主義と自由を代表して発言して責任ある態度を示すべきですね。        

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。責任のある態度を示さない。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

これは‘兎角、この世は無責任’ という事になるか。   

 

 

 

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閲覧数259 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/11/15 05:52
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