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2021年02月12日(金) 

 

 

>「内部の参照点」に立ち返れ       

>苅谷:日本は近代化の歴史の中で、海外の技術や考え方を取り入れながら、ハイブリッドな近代を作り出してきました。  

 

そうですね。   

 

>100年前まで遡らなくても、2011年には東日本大震災を経験しています。>これらの経験を「内部の参照点」として、今、私たちに必要な知識とは何かと考えることが重要なのではないでしょうか。  

 

同感です。   

 

>欧米の有名な学者たちの文献に注目し、昔のドイツやフランスやイギリスやアメリカが何をしたかということを理解し、それらを日本語で紹介したとしても、それは、自分たちの「内部の参照点」にはなかなかなりえません。 

 

そうですね。それは受け売りの専門家のすることですね。   

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

 

>その点で100年前に内務省の保健局が出した報告書は、私たちが今回の感染症を考えるうえでの「内部の参照点」になりえます。 >知の生産や再生産といったことは、私たちの「知に対する謙虚さ」がベースにあり、私たちがこれまでの歴史の中で、作り出してきた事柄をどう理解するのかということに出発点があると思っています。 

 

そうですね。   

 

>世界中の誰も、過去を完全に切り離して、真水からまったく新しい何かを作り出すということはできません。 >私は、このことを「経路依存性Path Dependency」と理解していますが、現在や未来のことを考えるにしても、世界との交流を含めた、自分たちの作り出してきた過去の経験に立ち返るということが必ず重要になります。  

 

そうですね。   

イザヤ・ベンダサン (=山本七平訳) は <日本教について> の中で次のように述べていま。

・・・・その中の特徴的な考え方の一つは「人は他人の罪責を負うことができる」という考え方です。一見奇妙な考え方と思われるかもしれません。しかしこの罪責を栄誉と置き換えてみれば、人はみな当然のことのように他人 (先人を含めて) の名誉をにない、本田様とて例外でないことにお気づきでしょう。様は、砂漠にただ一人、自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。従って本田様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける権利も放棄されたことになります。責任を拒否したものに権利はありますまい。

人間は生まれる場所も生まれる時も選ぶことが出来ないが故に歴史に対して責任がある、と考えうるときはじめて人間が「人間」になるのであって、「おれは生まれた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」といえば、これは獣に等しいはずですが、そう考えうること自体が、実は、恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は「栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので・・・・・なぜなら、「財産は相続するが、負債はおれには関係がない。なぜならその借金は、おれの幼児の時のもので、当時何も知らなかったからだ」と言うに等しいからです。・・・・・

罪なき者が他人の罪を負って打たれ砕かれる。この時はじめて、負った人は負わせた人びとを同胞と呼びうる。すでに「他人」ではない。従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪かで苦しめられた人びとに謝罪する権利も生じる。そしてそれをすることによって和解が成立するーーーー(引用終り)    

 

>須賀:まさにそう思います。>苅谷さんの答えはとても内向きに聞こえる一方で、自分たちの連続性の中から取り出したインサイトや経験、問いといったものが、結局は、普遍への第一歩であり、グローバルにもつながりうる知見なのだと感じました。  

 

同感です。     

 

>苅谷:はい。まさに今ご指摘いただいたように、下手をすると非常にわかりやすいナショナリズムに回収されてしまう危険性もあります。 >今回、本を書く過程で、いろいろな国の近代化に関する知識を集めました。 (6/7に続く)   

 

 

 

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閲覧数22 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/02/12 02:31
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