>【識者の眼】「嘘をつかなければ良いのか」岩田健太郎 >No.5054 (2021年03月06日発行) P.59 >岩田健太郎 (神戸大学医学研究科感染治療学分野教授) >登録日: 2021-02-22 >最終更新日: 2021-02-22 >コーナー: OPINION 医療界を読み解く[識者の眼] >診療科: その他 意見・提言 >露骨なフェイク・ニュースがネットで拡散され、それを信じ込む人たちが騙される。
悪質ジャーナリズムによる被害ですね。
>もちろん、昔も「情報弱者」はいた。 >ツチノコだの口裂け女だの心霊写真だの。 >現代だけがフェイクに脆弱な社会なのだとは思わない。>ただ、今はそんな誤情報に構造的に騙されやすい「弱者」とそうでない人の格差がどんどん広がり、断絶・分断が深刻になっていき、このことが、例えば新型コロナ対策、を困難にしている。
残念なことですね。専門知識を装った人たちから誤情報を受け入れている人が大勢いますね。
>問題なのは露骨なフェイクだけではない。>露骨なフェイクは真正面から否定すればいいだけの話だが、より深刻な問題は表面的には嘘ではないんだけど、嘘、というフェイクである。
世間を騒がせるための業者の処世術 (損得勘定) から出て来るものでしょうね。
>例えば、コロナのワクチンを接種した後に米国で1000人以上亡くなっている、というような報道だ。 >日本のメディアはこれが多い。 >そこに欠如しているのは「だから何? so what?」であり、インプリケーションである。 >結局、1000人という数字は多いのか、少ないのか。 >ワクチンが危険という意味なのか、安全という意味なのか。 >その「意味するところ」を語らずして、ただ数字だけ並べて報道しても、これはジャーナリズムの仕事ではない。
そうですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
>ジャーナリズムの使命は、我々医学者同様、真実は何なのかを追求するところにあるからだ。
全ての人に真理の探究は必要ですね。
>米国でコロナのワクチン接種後に何人死んだ、というのは、水を飲んで24時間以内にたくさんの人が死んでいる、というのと同じ話だ。>前後関係を並べてもそれは因果関係を導かない。>メディアは「これは米国の自然死から予測される死亡数を逸脱するものではなく、ワクチンの安全が脅かされているわけではない」と言うべきなのである。
そうですね。正しい結論が非必要ですね。
>それこそがインプリケーションだ。
有意義である (significant) というべきでしょうね。
>インプリケーションを言わないままに数字だけ並べる。>中立を装っているが、これはれっきとした「ワクチン反対論」であり、センセーショナルに視聴者や読者を怖がらせて喜んでいるのである。
未必の故意 (willful negligence) ですね。
>メディアだけではない。 >医者にもこのような「嘘をついてないけど、嘘つき」は多い。
残念なことですね。
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