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2022年04月30日(土) 

 

 

>『サピエンス全史』を読んで気付けた3つの思い込み   >人類の誕生秘話、国家という存在、自由という価値観についての思い込み   >話題の本『サピエンス全史』、上下巻に分かれていて、やっぱり長かったですがようやく読破しました。 >読んでいて自分の思い込みに気付くことができたので、ここでご紹介します。  

 

それは良かったですね。   

 

>その思い込みとは、 >・私たち現代人類種は、ネアンデルタール人から入れ替わるように進化したと思っていた  >・ 国家や貨幣や有限会社といった現代の制度は、宗教や原始的なまじないとは一線を画するものだと思っていた   >・自由や平等や人権、自分らしく生きるといった価値観は普遍的なものだと思っていた   >の3つです。  >今日はヘビーになりそうですね。

 

普遍的とは千変万化しないということでしょうね。   

 

>私たち現代人類種は、ネアンデルタール人から入れ替わるように進化したと思っていた  >この本によれば、ホモ・サピエンスと呼ばれる私たち現代人類はネアンデルタール人と同時代を過ごし、生き残りに勝って今に至っていました。  >つまり、人類はネアンデルタール人から現代人類へと直線的に進化してきたんじゃありません。  >ホモ・サピエンスにとある強みがあったおかげで、私たちがたまたま生き延びて唯一の人類種になったのです。  >その強みが、虚構を創作し、それを共同で信じるという力でした。   

 

そうでしょうね。虚構は創造力につながりますね。      

 

>国家や貨幣や有限会社といった現代の制度は、宗教や原始的なまじないとは一線を画するものだと思っていた   >虚構とは、(当たり前だけど)現実には存在しない、架空の物事のことです。 >そして、私たちは、そうした虚構を一人ではなく集団で信じることで、圧倒的なチームワークを得てきました。   

 

そうですね。それは言語を使うお陰でしょうね。      

 

>サルやゾウなど他の動物も群れを組んで協力しますが、それができる個体数に限界(だいたい150個体)があります。>ですが、私たちホモ・サピエンスだけは、群れを超えて、数千や数万の単位で協力し合えたのです。   

 

そうですね。アニマルは言語を使いませんからね。     

 

>虚構の例として、伝説や神話や宗教が比較的イメージしやすいですが、それだけではありません。  >国家や貨幣、司法制度や有限会社といった現代の制度も、等しくすべてが虚構であり、大勢がそれを信じることで成り立っているという点で、何も変わりありません。   

 

そうですね。それは抽象語の世界でしょうね。    

 

>例えばある国の国民が、「祖国を守るため!」と、力を合わせて戦えるのは、国家という虚構や、国民という虚構、国旗が象徴するものの存在を、みんなが信じているからです。   

 

そうですね。フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘があります。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には “to be” に当る適当な動詞がない。”being” とか “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。

他方、日本語は純粋に具体的なことがらの区別では豊かである。数え方を例にとってみよう。単複の区別では弱いが、具体的物体の種類の数を表現するのに、アングロ・サクソンの詩人にとっても想像を絶した多数の言葉を持っている。たとえば動物は「二匹」で、鳥は「二羽」、銃は「二挺」、飲物は「二杯」、石は「二個」、箱は「ふた箱」、葉巻は「二本」など。 (引用終り)   

 

>日本人が日本経済の将来について憂い、何とかしようと努力できるのは、日本という国・日本人というグループ・円という貨幣という存在や、それが将来にも存在し続けることを、お互いに信じ合えているからです。   

 

そうですね。言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)        

 

>今まで当たり前と思っていたものまで虚構にすぎないと気付けたことで、これまで以上に幅広い範囲の物事が、再設計できる対象として見えるようになりました。   

 

それは良かったですね。それならば未来社会の建設にも貢献できますね。 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)     

 

>起業家にとってはプラスな特性です。 >そして、ここまで多くのものを創作し、それによって繁栄してきた現代人類、すごいなーと感服しました。  >種としての自画自賛ですね。   

 

それは良かったですね。  

 

>自由や平等や人権、自分らしく生きるといった価値観は普遍的なものだと思っていた  >ここまで虚構だらけだともう驚かなくなってきますが、次は価値に目を向けてみます。 >例えば、自由や平等、自分らしさといった価値を、私たちは普遍的なもののように扱います。  >自由を勝ち取るために命をかけて戦ったり、自分の心に従って生きようと訴えかける映画に感動したりします。   

>こうした自分たちの生活や行動を決めている価値は普遍的な真理であるように見えますが、実際のところは生まれた瞬間から放り込まれている、想像上の産物にすぎません。   

 

日本人にはない世界観というものですね。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

 

>自由(自由主義)も、自分らしさ(ロマン主義と消費主義)も、昔からずっとあるわけではなく、ただの主義です。   

 

そうですね。現実の内容は見ればわかる。 Seeing is believing. だが、進歩がない。 [まことに] 日の下に新しきものなし [と]  (コーへレス 旧約聖書)  

非現実 (考え) の内容は文法に従って文を理解しなくては分からない。だが、人間によりその内容は自由に変えられて、人類は進歩する。   

 

>主義ということは、自分と違ったものに価値を感じる主義も同時に存在しますし、時代によって主流は変わっていきます。 >資本主義と共産主義があるように。 >数十年しか見えない私たちには真理の様に思える価値観も、実際のところかなり不安定な存在で、これからも様々に変化していくことがわかります。   

 

それが、即ち人類の進歩ですね。   

 

>まとめ:7万年の歴史旅ができて、新しい視点をいくつもくれる本  >これまでは自分の人生数十年、長くても自分の親と子の生きる100年ちょいくらいしかイメージできなかったけれど、この本は7万年のイメージを持たせてくれます。 >100年の視点の自分と、ホモ・サピエンス誕生からの7万年を神視点で擬似見学した自分では、物事のとらえ方が大きく変わってきます。  >真実だと思っていたことが思い込みにすぎないと知り、「目からウロコ体験」が何度もできる、とても面白い本でした。   

 

そうでしょうね。良かったですね。貴重な体験になりましたね。     

 

>サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福   >Amazonでユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之のサピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福。

>サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福   >Amazonでユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之のサピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福。

 

 

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閲覧数142 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/04/30 14:03
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