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2023年02月08日(水) 

 

>zakzak   >定年後の居場所 〝働かないおじさん〟を考える 生まれる理由は2つ 日本型の雇用システム、寿命が延び仕事の意味を自問   >オピニオン 昨日 15:30  

>昨年の11月7日に、NHKラジオで、「会社のナゾ〝働かないおじさん〟を考える」という一風変わったテーマの番組に出演した。   

>この「働かないおじさん」は、私 [楠木新] が2013年に東洋経済オンラインでの連載のタイトルで使ったワードだ(当初の表記は「働かないオジサン」)。   

>その言葉が10年経っても、まだ生きているのが不思議な感じである。   

 

世の中が変らないからでしょう。   

 

>仕事内容に伴わない高い給料をもらっている中高年社員に対して、若手社員が批判する際に使われる。   

>最近のラジオの生番組ではリスナーからのメールやツイッターの内容がオンエア中に紹介される。   

>今回も「(話を聞いていると)働かないおじさんは、意欲があっても働けない人たちともいえるのですか?」という質問があった。   

>まさにその通りで「働かないおじさん」は、議論を呼ぶためにあえて使った造語で、本当にサボっている中高年社員はそれほど多くはない。   

 

‘已むに已まれず働かない’ ということですね。   

 

>NHKの解説委員からは、なぜ「働かないおじさん」が生まれるのか?という質問から始まった。   

>私は2つ理由があると考えている。   

>一つは、日本型の雇用システム。   

>同じ組織で長期間働いていると、どうしても中高年以降になると意欲を失う人が多くなる。   

 

そうですね。気力と体力がなくなりますね。    

 

>もう一つは、寿命が延びたことを多くの人が意識し始めたことである。   

>60歳からの平均余命で見ると、男性85歳、女性90歳まで平均で生きるのに、50代の今取り組んでいる仕事は意味があるのかと自問する人もいるからだ。    

>また岸田文雄総理が「年功序列的な職能給をジョブ型の職務給中心に見直す」と述べているが、と意見を求められた。   

>検討の方向性は間違っていないが、本来のジョブ型に移行するには、解決する課題は多い。   

 

あっけらかんとした世界の中でドライに割り切るセンス (判断力) が必要ですね。義理と人情のこの世界では無理です。     

 

>働き方を変えることのみならず、解雇規制の問題、労組との対応や手続きも必要だからだ。   

 

必要なことは何でもやるのが正道でしょうね。    

 

>時間がかかるので、待っていると中高年の会社員人生は終わってしまうと述べた。  

 

そうですね。芸術は長く、人生は短し。   

 

>「それでは社員の側はどう考えればよいのか?」と解説員からの質問は続いた。   

>現在40代後半や50代の人は、「もう一人の自分」を作る。   

>仕事のみならず趣味、地域活動、学び直しなどから自分が本当に興味のあることに取り組んで、「会社員の自分」とは異なる「もう一人の自分」を持つことだ。   

>そうすれば、社外に新たな人とのつながりも確保できる。   

 

そうですね。社畜で終わることもないですね。   

 

>定年後の生活の準備にもなるのである。   

>一方で、20代、30代の人は、現在の中高年の先輩を参考にしてはいけない。   

>40代にもなれば、雇用契約を業務委託契約に変更しても自立して働けるように専門性を磨くことを目指すべきだ。   

 

そうですね。会社への帰属意識を減らすのですね。やくざの組員には出来ないことですね。      

 

>それは前の世代よりも厳しいと感じる若い人も多いだろう。   

>気持ちは分かるが、本来は自分が貢献した内容を正当に評価されて収入を受け取り、それで生活していくのが一番健全であり充実して過ごせるのである。   

 

そうですね。充実した生活がしたいですね。       

 

>寄与した分よりも多くの収入を得ている「働かないおじさん」は、決して「いい顔」はしていないとマイクの前で述べた。   

>若いリスナーの理解を得ることはできただろうか。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)           

 

>■楠木新(くすのき・あらた) 1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。   

>50歳から勤務と並行して取材、執筆に取り組む。   

>2015年3月、定年退職。   

>現在、人事・キャリアコンサルタント。   

>25万部を超えるベストセラーになった『定年後』(中公新書)など著書多数。   

>22年9月に『自分が喜ぶように、働けばいい。』(東洋経済新報社)を出版。   

 

 

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閲覧数83 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/02/08 01:09
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