森重昭さん |
>産経WEST >「本物の被爆者が伝え続ける」 オバマ氏と抱擁の森重昭さん >6 時間 >被爆地・広島は6日、原爆投下から78年を迎える。 >今年は5月に先進7カ国首脳会議(G7サミット)が広島で開かれ、バイデン米大統領ら各国首脳が訪問。 >世界の目が8・6にも集まることが期待される。 >7年前、現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏と抱擁した歴史研究家で被爆者の森重昭さん(86)=広島市西区=は「世界が広島に注目する年に、核兵器を二度と使わないという思いを改めて伝えたい」と話す。 >森さんは収容先の広島で被爆した米兵について長年にわたり調査。 >平成28年5月、オバマ氏が平和記念公園(同市中区)の原爆死没者慰霊碑前で核兵器のない世界を訴える演説をする際、被爆者の代表として招待された。 >演説を終え、歩み寄ってきたオバマ氏からそっと抱き寄せられた。 >涙ぐんだ森さんの背中に手を回すオバマ氏の姿が世界中に発信されると、森さんのもとには各国から取材依頼やメッセージが殺到した。 >「米大統領の行動には、こんなに強い発信力があるのかと驚いた」と話す。 >広島は火の海 浴びた「黒い雨」 >78年前、国民学校3年生だった森さんは、爆心地から2・5キロの地点で被爆した。 >大きなけがはなかったものの、原爆投下による「黒い雨」を浴びた服を脱ぎ棄て、道端に落ちていた新聞紙を巻き付け防空壕(ごう)に逃げた。 >山手にあった防空壕から市街を見ると、夜になっても明るかった。 >「3日3晩、広島は火の海だった。 >たった一発の爆弾で、広島市が吹っ飛んだ。 >原爆は普通の爆弾とは違う」 >終戦後1カ月で学校は再開したが、窓という窓は爆風で吹き飛び、授業もままならなかった。 >森さんは空腹で、学校の授業を抜け出してはハゼを釣って食べた。 >「今となっては犯罪だが、他人の山に入ってマツタケを取ったこともある。 >そのとき、恐らく山の所有者が猟銃を発砲して威嚇してきた。 >こちらもあちらも、生きることに必死だった」と振り返る。 >米兵捕虜12人も犠牲 被爆の真相 >戦後、通っていた国民学校の近くで米兵が原爆で死亡していたことを知り、30代のときに米兵の調査を始めた。 >こつこつと調査を重ね、捕虜となって広島で収容されていた米兵12人が、原爆の犠牲になっていたことを突き止めた。 >原爆に関する論文も書き上げた。 >全ては二度とあの日の広島のような事態を招いてはいけないという思いからだ。
‘過ちは繰り返しませぬから’ と言うが、何がその原因かは分からないでしょう。だから、我々には過ちを避ける方法はありませんね。この無責任体制がいつまで続くのでしょうかね。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>米兵捕虜の調査を続けて半世紀。 >今年5月には広島でサミットが開かれ、ロシアの軍事侵攻を受けるウクライナのゼレンスキー大統領を含む各国首脳が被爆地に集まった。 >首脳らが広島平和記念資料館(原爆資料館)などを訪れ、被爆の実相に触れたことには「意味があった」と評価する。 >ロシアは今回の侵攻で核兵器の使用をちらつかせるが、今の技術で核兵器を使えば人類全体に影響が及ぶ。 >各国首脳が原爆資料館を訪れた姿が世界に発信されたことで、核兵器が使用されない世界の実現に一歩でも近づくことを強く願う。 >6日は、地元の小学校の教員に紙芝居形式で被爆体験を伝える予定だ。 >「7年前のオバマ氏の演説の中に、『いつまでも被爆者が生きているわけではない』という趣旨の言葉があった。 >僕らもいつまで生きるか分からないが、本物の被爆者がいる限り、伝え続ける」と話した。
原因があって、結果がある。原因の究明が無ければ悲惨な結果だけを訴えても被爆者はなくなりませんね。 悲惨な結果だけを力説して広めれば、相手はその悲惨さを示して我々に譲歩を迫るばかりですね。
>(藤原由梨)
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