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>リセマム >旧7帝大人気ランキング2025… 受験者数・倍率・に入学辞退率 >7時間・ > 2025年度大学受験の入試結果を振り返り、旧7帝大の一般募集について、受験者数や実質倍率、入学辞退率などを紹介する。 >志願者がもっとも多かったのは北海道大学で、受験者数がもっとも多かったのは京都大学。 >実質倍率がもっとも高かったのも京都大学だった。 > 文部科学省が発表した2025年度国公立大一般選抜の志願状況は42万8,501人で、前年度(2024年度)と比較して5,263人増加した。 >駿台によると、募集人員は後期日程の廃止などで国公立大全体では642人の微減となったが、志願倍率は4.36倍(前年度4.28倍)で、ほぼ前年度並みだった。 >「旧7帝大」を含む難関10大学の志願者については、全体で1,097人の微減となった。 > リセマムでは、「旧7帝大」の北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学をピックアップし、受験者数や実質倍率、入学辞退率などをまとめた。 >各数値は、代々木ゼミナールがWebサイトで公開している「2025年度入試結果」や、河合塾Kei-Netが公開している「一般選抜 入試結果(国公立大学)」を参考にした。 > 7大学のうち、志願者数がもっとも多かったのは「北海道大学」で9,406人、ついで「東京大学」8,421人、「京都大学」8,077人、「九州大学」7,286人、「大阪大学」7,099人、「東北大学」5,995人、「名古屋大学」4,567人となった。 > 受験者数がもっとも多かったのは「京都大学」7,818人、ついで「東京大学」7,418人、「北海道大学」6,770人、「大阪大学」6,711人、「九州大学」5,751人、「東北大学」4,448人、「名古屋大学」4,135人。 > 実質倍率は、「京都大学」2.89倍がもっとも高く、ついで「北海道大学」2.60倍、「東京大学」2.48倍、「東北大学」2.45倍、「九州大学」2.41倍、「名古屋大学」2.29倍、「大阪大学」2.20倍。 > 入学辞退率は、「東京大学」1.23%がもっとも低く、「京都大学」2.92%、「名古屋大学」2.93%、「大阪大学」3.55%、「東北大学」5.29%、「九州大学」6.21%、「北海道大学」8.88%の順に低かった。 >なお、入学辞退率は、募集人数を入学者とみなし、合格者数と募集人員との差の、合格者数に対する割合を算出した。 > 各項目での順位は以下のとおり。 >◆志願者数 >1位 北海道大学 >2位 東京大学 >3位 京都大学 >4位 九州大学 >5位 大阪大学 >6位 東北大学 >7位 名古屋大学 >◆受験者数 >1位 京都大学 >2位 東京大学 >3位 北海道大学 >4位 大阪大学 >5位 九州大学 >6位 東北大学 >7位 名古屋大学 >◆実質倍率 >1位 京都大学 >2位 北海道大学 >3位 東京大学 >4位 東北大学 >5位 九州大学 >6位 名古屋大学 >7位 大阪大学 >◆入学辞退率(低い順) >1位 東京大学 >2位 京都大学 >3位 名古屋大学 >4位 大阪大学 >5位 東北大学 >6位 九州大学 >7位 北海道大学
序列順位に人気が集まりますね。何でも順位・順位・順位ですね。日本人は序列順位以外に興味が無いのかもしれない。 江戸時代には生涯変えることのできない身分制度があった。夢も希望もない世の中であった。 明治以降は序列を変えることの可能な学歴社会になった。日本人はあらたな序列 (学歴) に望みを託した。これは学問に名を借りた序列競争である。学問は個性の産物であるが、人間序列は没個性の産物である。 「過去に自分自身、教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した。・・・あまりに度が過ぎると子どもがぐれ、・・・罪を犯す・・」戸田佳孝容疑者(43) 序列は序列人間である日本人に生涯付いてまわる。学歴社会に成ってもそれで序列を誤魔化せるわけではない。日本人の序列メンタリィティは日本語文法に根差しているからである。 日本語文法に階称 (言葉遣い) がある。'上と見るか、下と見るか’の人間序列の判断は没個性に基づく比較であるから、階称は個性を伸ばす教育の大敵であり、自己実現の妨げになる。 また、礼儀正しい日本人になることも難しい。日本人の礼儀作法は序列作法になっているので日本人の礼儀は倫理道徳が欠けている。
我が国には人手不足の話は何処にでもあるが、頭脳不足の話はついぞ聞いたことがない。天下の秀才が大勢いるから大丈夫なのであろうか。 自分の通っている大学が、有名大学か無名大学かを気にする学生は多い。しかし、その授業内容を心配する学生はいない。 日本人は思考を停止している。無哲学・能天気で困ることはないのか。間抜けではないのか。地頭で勝負をするつもりか。
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望を与えることがない。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。
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