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2025年06月06日(金) 

 

>現代ビジネス   >日本人がヨーロッパで「挨拶ができない」と思われてしまうワケ、意外な「挨拶文化の違い」があった   >小山のぶよ (翻訳家・ライター) の意見・   >17時間・  

(略)   

>「違い」を生み出しているもの   

>海外の飲食店や商店などで挨拶できない日本人の例と、外国人相手だと挨拶できなくなってしまう日本人の例を見てきた。   

>結局「文化の違い」と言ってしまえばそれまでなのだが、欧州と日本で挨拶文化にここまでの違いがある理由はどこにあるのだろうか。   

>筆者が思うに、以下の三つの要因が考えられる。   

>一つ目は、日本と欧州の社会構造や習慣の違いだ。   

>近年、インターネットや情報機器の発達によって、コミュニケーションの定義が大きく変化した。   

>現地語が分からなくても翻訳アプリを使ってコミュニケーションできるし、フードデリバリーの発達により指先だけで好きなものを注文して配達してもらえる。   

>配車アプリを利用してタクシーを呼べば、運転手にいちいち言葉で指示せずとも目的地まで直行してもらえる。   

>いわば、スマートフォンとインターネット環境さえあれば、他人と言葉を交わすことなく一日を終えることすら可能となった。   

>しかしほんの十年ほど前、上記のサービスが存在しなかった時代は、欧州で言葉を発さずに生活することなど不可能であった。   

>商店での買い物の際は欲しいものを言葉で伝え、飲食店では紙のメニューを見て店員に注文し、鉄道のチケットは有人カウンターで購入し、タクシーは乗る前に価格交渉と行き先の確認が必須で……といったもので、それは現在でも根強く残っている。   

>いっぽうの十年前の日本では、少し事情が異なっていたように思える。   

>喉が渇いたなら自動販売機でどこでも好きな飲み物が買え、効率化を重視する飲食チェーンでは食券を購入し店の人に手渡すだけで料理が提供される。   

>鉄道の切符の購入も自動券売機で済む。   

>極論であるが、ひとことも言葉を発さずとも生活できる環境が、十年前の日本ではすでに完成していたのだ。   

>この「非合理的なコミュニケーションを削って自動化する」というのは、かねてから日本の得意分野であったし、注意事項やルールをいちいち言葉で説明するのではなく、貼り紙や注意書きとして掲示することを好むのも日本らしい。   

>対する欧州では、「非合理的なコミュニケーションを削る」という概念は、ここ十年ほどでようやく広く普及しつつある程度だ。   

>なので、いまだにコミュニケーションは口頭で言葉を交わして行われるのが主流であるし、日本のように何でもかんでも貼り紙にして掲示しておくという習慣も薄い。   

>この「他人と言葉を交わしやすい社会かどうか」という点が、欧州と日本で他人との距離感が大きく異なる理由の一つなのかもしれない。   

>言わなくても察す文化   

>日本人が挨拶できない理由の二つ目は、日本と欧州の民族構成の違いだ。   

>日本という国は、世界的に見ても同質性が高い国である。   

>もちろん少数民族や外国にルーツを持つ日本人もいるが、圧倒的大多数の日本人は同じ文化背景や社会通念をある程度共有している。   

>ほぼ全ての日本人は日本語を話すし、東アジアの風貌である人がほとんどだ。   

>ここまで均一的な社会であるため、相手の気持ちや立場を想像しやすいことから「言わなくても察する文化」が発達したのだ。   

 

そうですね。高文脈文化 (high context culture) ですね。   

 

>いっぽうの欧州には、日本のように大多数が同じ民族で同じルーツで同じ母語を共有している国というのは存在しない。   

>フランスやイギリスのように歴史的経緯から異人種の移民が多く入ってきた国もあれば、ポーランドやルーマニアのように一見すると人口の圧倒的多数はポーランド人やルーマニア人であっても、その先祖は別の地からやって来た異民族であり混血しているといった国もある。   

>ここまで多くの民族が、しかも言語も文化も社会通念も異なる人々が、モザイクのように入り混じった社会では、「自分は敵ではない」とアピールする意味でも、出会い頭の挨拶が重要視されてきたことは想像に難くない。   

>初対面の相手とちょっとした会話を交わすことがポピュラーであるのも、風貌が異なる相手と仲間意識を持つための生存戦略だったのかもしれない。   

>欧州のように、同じ背景や同じ文化を共有する同一民族で社会が構成されていない国々では、言葉で明確に言わなければ自分の気持ちや要求が相手に伝わらないこともあるだろう。   

>そのため、欧州では日本のような「言わなくても察する文化」というのは概して薄めなのだ。

>カジュアルな挨拶表現の乏しさ   

>そして欧州と日本の挨拶文化が大きく異なる要因の三つ目は、日本語におけるカジュアルな挨拶表現の乏しさにあると筆者は考える。   

>英語やフランス語、ロシア語やポルトガル語など、欧州で話される言語の多くにはフォーマルな「こんにちは」とカジュアルな「こんにちは」がある。   

>英語であれば前者は”Hello”、後者は”Hi”にあたる。   

>カジュアルな”Hi”は、くだけすぎている表現というわけではなく、年齢や性別、親しさなどに関係なく使用できる。   

>いっぽうの日本語では、フォーマルな挨拶は「こんにちは」一択で問題ないが、カジュアルな挨拶となるととても複雑になる。   

>「どうも」や「よお」などの表現もあるが、誰に対しても使えるわけではないし、ややくだけすぎているようにも感じる。   

>そこに相手との距離感だったり、年齢の上下が関係してきたりする。   

>つまり日本語には、英語の”Hi”にぴったり合致するカジュアルな挨拶表現が存在しないのだ。

 

そうですね。日本語は ’situational’ (状況次第) ですね。

 

>旅先で出会った日本人と挨拶するときに困るのは、筆者自身にも経験がある。   

>ずっと「こんにちは」だとよそよそしいし、かと言っていきなり「よお」なんて声をかけるほどにはお互いの距離は近くない。   

>そういった微妙な距離感の相手と顔を合わせたときの最善の解決策は、「無言で会釈」なのかもしれない。   

 

そうですね。   

 

>欧州の諸言語と日本語におけるカジュアルな挨拶表現の有無は、気軽に相手に声をかける文化の有無にも影響しているように思う。   

>欧州では”Hi”にあたるカジュアルな挨拶表現の使用範囲は想像以上に広く、したがって他人に声をかけることのハードルが概して低めだ。   

>そういった文化の地域で育った人たちが、カジュアルに挨拶しない日本人を見ると「なぜ同じ空間にいるのに挨拶できないのだろう」と感じてしまうものなのかもしれない。   

>挨拶ひとつで相手の心を解く   

>「挨拶」という、誰にでも身近な習慣を通して、日本と欧州の違いを分析してきた。   

>繰り返しになるが、日本と欧州のどちらの挨拶文化が正しいかとか、そういった話ではない。   

>社会風土や民族構成や言語文化などさまざまな要因が絡み合った結果、日本と欧州で挨拶、及び他人と言葉を交わすことに対する意識が大きく異なるものとなった、という話だ。   

>しかしながら、「この人、挨拶もできないで感じ悪いなあ」と思われてしまうよりも、相手に良い印象を持ってもらうに越したことはないだろう。   

>挨拶一つで相手の心を解き、こちらも気分良く過ごせるのならお安い御用だ。   

>「郷に入りては郷に従え」とはよく言ったもの。   

>文化や習慣が異なる国を訪れるのであれば、その国で良しとされる態度を取る方が賢明だろう。   

>挨拶して嫌がられることはまずないし、こちらも損をすることなど一つもないのだから。   

 

そうですね。出来ればそうした方が良いですね。   

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数21 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/06/06 20:19
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