山本浩之氏 |
>デイリースポーツ >減反、値上がり、コメ不足 … 場当たり的農政にイライラが止まらない山本浩之アナコラム >デイリースポーツによるストーリー・ >22時間・ > 「減反」→「増産」→「(事実上の)減反」まさに『猫の目農政』だ。 >しかも、たった1年でコロコロと日本人の主食を振り回してきた。 >令和のコメ騒動は昨年夏、米屋の棚にコメが並んでないと騒がれはじめたことに端を発する。 >この時、コメは足りていると言い続けた農水省への信頼は地に落ちた。
そうですね。
> 新たに就任した小泉農相(当時)が備蓄米放出に踏み切ったのが今年3月。 >コメの値段は一時期、一番高かった時の半値以下にまで値下がりした。 >さらに石破政権はこの夏増産にカジを切ったのだが、3カ月もたたないうちに今度は高市政権の下、農水省出身の鈴木新農相が「需要に応じた生産」にシレ~っと戻してしまった。 >事実上の「減反復帰」である。
そうですね。チャランポランですね。
> コメ農家の皆さんはどんな思いで、この極端な一連の動きを見ているのだろうか。 >中には歓迎する向きもあるだろう。 >あまり安い価格を維持されては生産者はやっていけないからだ。 >とはいえ、コメが足りなくなると価格はまたハネ上がる。 > 鈴木農相は「需給バランスを維持し、生産調整を続ける。 >データと去年の反省も踏まえてデバイスする」なんてカッコいいことを言うが、そんなにうまくいくかどうか。 >今後も高温障害など、気象条件によって想定外の不作は十分考えられる上、予期せぬ災害などに見舞われれば備蓄米に頼ることはできないことも頭に入れておかねばならない。 > だから、減反政策は間違っている、生産を増やすべきだと思うのだが、どうやら余剰米を輸出するという石破前政権の考えは全く頭にないらしい。
そうですね。余剰米の輸出促進が突破口になりますね。
>なんでもご自身が副大臣時代、カリフォルニアの業者と輸出交渉した際にとても難しかった経験がお有りのようだが、アンタ商売人じゃないんだから、まともに相手してもらえなかっただけじゃないの?と言いたくなる。 > 今後、農産局の役人の判断ミスでコメ不足に陥ったら逆に輸入米を増やせばいい、とでも考えているのではなかろうか。 >私はそれくらい農業政策を信用していない。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
>もう一度言うが、コメは日本人の主食である。 > 鈴木農相はまた「経済原理によってコメの価格は決まる。 >政府は価格に介入しない」とも言った。 >正論ではあるが、今またコメの値段は5キロ4千円を超える価格に戻ってしまっている。 >去年のコメ不足を受けて、集荷・卸売業者が今年のコメを早い時期に生産者から高値で買い取ってしまっているからだそうだ。 > 当然、消費者は悲鳴を上げる。 >そこで出てきたおコメ券。 >2千円一回だけじゃ全然足りませんよー。 > それでも売れなくてダブついたコメはどうなる? >今度は値下げ競争になって、中間業者を苦しめる。 >廃業なんてさせずにちゃんと救済してあげないと。 >彼らの責任ではないのだから。 >ホラ、ぜーんぶ場当たり的だ。
そうですね。政府は目先のことだけにとらわれていますね。一寸先は闇である。規則に縛られずに無哲学であることが日本人の自由主義になっているのですかね。
> コメに限らず、私たちの土地で生産した安全で優良な作物を、安定的に口にすることを政治家や農水官僚は真面目に考えているのか。
日本人には哲学がない。だから我が国の政治家には政治哲学がない。各人がこの国の ‘あるべき姿’ を持論として持っていない。だから目先のことにとらわれて真面目になれない。 各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>(だから私は数年前から畑を始めた。 >できるだけ自分が食べる野菜は自分で作れるようにしたいから、忙しい合間を縫ってでも土を耕している。 >コメを作る土地がないので野菜に限ってのことだが)地産地消は当たり前、読者の皆さんも、自産自消どうですか。 >(元関西テレビアナウンサー) > ◇山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。 >大阪府出身。 >龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。 >スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。 >その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。 >趣味は家庭菜園、ギターなど。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
英米流の大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。 私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。 政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる、などなど。 我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない、などなど。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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