クマ被害 |
>テレ朝NEWS >日本各地でクマ被害相次ぐ 駅構内や駐車場に出没 車に突進 >テレ朝NEWSによるストーリー・ >11時間・ > 山形県新庄市の新庄駅構内にクマが入り込みました。 >山形新幹線が一部区間で運転を見合わせるなど、影響が出ています。 >■クマが駅構内に出没 > 山形県のJR新庄駅。 >8日の午後、駅の構内にクマ1頭が入り込みました。 > 警察やJRによりますと、クマは新庄駅の北側にある新幹線の車庫に居座っていたとみられます。 > 体長50センチほどの子グマとみられます。 > この影響により、新幹線の一部の区間で運転を見合わせています。 >新幹線の乗客 >「(Q.(新幹線は)遅れた?)午後3時台が5時台に変更になった」 > 8日午後4時ごろ、クマは箱わなで捕獲されました。 >■“巨大なヒグマ”が車を襲撃 > 突然、車に突進してきたのは、まるまると太った巨大なヒグマです。 > 6日午後7時半ごろ、北海道浦河町の橋の上にヒグマが現れました。 >クマの専門家 岩手大学農学部 山内貴義准教授 >「口を開けて追っかけてきている状態なので、かなり攻撃行動の1つ。 >ヒグマだと体長、鼻から尻まで >最大2メートルくらい、体重も300キロくらいになる。 >この個体に関してはそれくらいほぼマックス」 > 車には衝撃の強さを物語るヒグマの爪痕とへこみが。 >幸い車に乗っていた人は無事だったといいます。 >山内貴義准教授 >「場合によってはガラスを割ることもあるので、大けがにつながる可能性もある。 >車に乗っていても特にヒグマは体も大きいので警戒する必要がある」 >■2時間半“居座り” 緊迫の現場 > 岐阜県では寺の駐車場にツキノワグマが居座りました。 > 柵をくぐり、辺りを見回すクマ。 >食べ物を探しているのでしょうか。 >地面に鼻を近づけてうろうろしています。 > 体長およそ1メートルの成獣とみられます。 >来振寺 明星良昌住職 >「(Q.駐車場にどれくらい居座った?)ここで1時間くらい。 >ずっと歩き回ってエサを探していたのか。 >心配はしていたがまさか日中、昼ごろに出てくるのは想定外。 >最近クマのフンや足跡があったので夜中に来ている気配はあった」 > クマは駐車場を1時間ほど徘徊(はいかい)した後、寺の庭にも侵入。 >合わせて2時間半ほど居座りました。 >来振寺 明星良昌住職 >「半月前にシカのわなにシカがかかっていて、専門家が『内臓をえぐりとられて食べられていた。 >これはクマしかない』。 >近くまで来ていることは想像していた」 > 8日、猟友会が寺の裏山に箱わなを設置しました。
レポーターは、実況放送・現状報告の内容が得意ですね。文章に力が入っている。 クマの行動の変化、その原因、その対策について論ずる余裕はないようですね。これが最も大切なところですがね。 クマの食糧難はこれが最後というわけではないでしょう。これからも延々と続く。わが国のトップの政治家たちはこの事態を何と心得ているのでしょうか。騒ぎが収まるのをじっとおとなしく待っているのかな。
‘三匹の子豚’ の話 一番目の子豚は藁の家を作った。オオカミが藁の家を吹き飛ばしその子豚を食べてしまった。 二番目の子豚は木の枝の家を作った。二番目の子豚も一番目の子豚と同様な運命をたどった。 三番目の子豚はレンガの家を作った。オオカミがレンガの家を吹き飛ばすことができなかったので、煙突から侵入しようとしたが子豚が用意した熱湯の鍋の中に飛び込んでしまった。そこで子豚は釜茹でになったオオカミを食べた。
日本人は一番目の子豚に似ていますね。いつも応急処置で済ませて、その場しのぎをしている。処理を簡単に済ませて理屈にこだわりを見せない。だから危険が避けられない。浅はかである。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。だから実況放送・現状報告に終始する。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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