学歴問題 |
>スポニチアネックス >ホリエモン、学歴問題を語るも「そのゴールが高卒」の声…本人が “たった一言” でコメント >スポーツニッポン新聞社の意見・ >1時間 > 実業家・堀江貴文氏(53)が29日に自身のX(旧ツイッター)を更新し、学歴問題について言及した。 > 「幻冬舎」の編集者・箕輪厚介氏は「中学受験は健全か。 >親のエゴになってしまうないか。(原文ママ) >行きすぎた競走にデメリットはないか」と投げかけた。
我が国は序列の国である。だが序列作りの為の教育はデメリットですね。個性が無視されていますから。
> これに堀江氏は「俺はぶっちゃけ勉強出来たからめちゃくちゃ幸せだったけどね。 >生まれて初めて塾で授業が楽しいって思えた」と返した。
それは序列社会に生きる序列人間の喜びですね。
> すると、堀江氏が東京大学を中退した経歴があることから「そのゴールが高卒」といったコメントが。
高卒に問題があるとは考えられませんね。教育の水準は人によりけりですからね。
>堀江氏は「学歴に意味がないこと、ネットのおかげでずっと勉強してられる事に早めに気づけてよかったよ」とリプライを送っていた。
大切な学歴を意味のないものにしているのはわれら国民ですね。これは大変残念なことですね。 我が国には子供の勉強があって、大人の勉強がない。 子供の勉強は他人の受け売りでをすることである。大人の勉強は自己の見解を明らかにすることです。 我が国も大学の入学試験を易しくして、卒業試験を難しくすると良いですね。 大学の入試は子供の学習の成果で決まり、大学の卒業試験の成果は大人の学習の成果で決まります。これにより高等教育機関から学位 (学士・修士・博士) が得られます。 大切なのは大人の学習の成果の方です。これは国力の基礎になります。 大人の学習の成果をおろそかにしていると、学歴に意味がないことに気づきます。
私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。 政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる、などなど。 我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない、などなど。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りの仕方は学んできたが、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。そうでなければ天下の秀才はクイズ王になってしまう。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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