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2025年12月15日(月) 

 

>ダイヤモンド・オンライン   >「東大もFラン大も、大卒は大卒ですよね? それなのにどうして高学歴と低学歴にわけるのでしょうか」。学歴の意味と本質を考える   >びーやまの意見・   >2時間・   

>「大学受験」は10代における最大のイベントです。   

>残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。   

>それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。   

>そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売中です。   

>本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。   

>本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。   

お悩み相談   

>「東大もFラン大も、大卒は大卒ですよね? それなのにどうして高学歴と低学歴にわけるのでしょうか」※1    

>なぜ世の中は大学名を気にするのか   

>――今回の相談は納得できる部分もあるのですが、びーやまさんはこのことについてどう思われますか?    

>びーやま氏(以下:びーやま):答えづらい質問ですね。   

> ですが、誤解を恐れずに言うと、大学の価値が変わったから、大学名で見られるようになったのだと僕は思います。    

> 昔は大学の数に対して、学生数のほうが多かったですから大学に入るだけでエリートでした。   

>しかし、今は違いますよね。   

>定員割れをしている大学も少なからずあるわけで、大学は飽和状態です。    

> そうなった以上、「大学=無条件で高学歴」ではなくなったのかなと思います。   

>よく、「昔は○○大学も名門だった」といった意見を聞きますが、まさにこれかなと。    

>――なるほど。    

>ただ今のところの高学歴大学というのは偏差値を基準に上下がつきすぎていると多いと思うのですが、その点はいかがでしょうか。   

>もう少しほかの基準もあるような気がします。   

>びーやま:そう感じるかもしれませんが、一方でFラン大学が、さまざまな研究実績ランキングで上位に上がってくるわけでもないですよね。    

> 良くも悪くも、研究実績ランキングなどは旧帝大や早慶などをはじめとする名門大学がほぼ偏差値通りに並んでいますし、その領域で有名な先生たちも、名門大学に固まっているのが実情です。    

> なので、偏差値だけで高学歴かどうかの線引きがされているわけではないと思います。    

>大学名で人生が決まるわけではない   

>――よく理解できました。    

>そういった積み上げの差が大学間の差にもなっているわけですね。   

>びーやま:そうですね。   

> 加えて、こういう議論になる度に思うのですが、東大とFラン大学では違うみたいなことは、別に誰かが決めたことではなく、なんとなく社会に根付いたものです。    

 

そうですね。我が国は、昔は武士の世の中、今は難関出身者の世の中ですからね。   

 

> そのため、大学間に差があるのはおかしいと言ったところで簡単に解決する問題でもないのかなと。   

>これは残念なことでもありますが。   

 

日本人には個性がなくて、序列がある。序列形成には没個性が必要である。個性を認めたら、序列争いに不公平が生じる。だから、序列制度は個人主義の大敵ですね。      

 

>――同じ大卒でも、大学が違うと価値が違うということかと思うのですが、その差は人生にどのような影響を与えるのでしょうか。   

>びーやま:なにか人生を決定づけるようなことはないと思います。   

> 世の中、学歴に関係なく活躍している人はいますから。    

> ただ、チャンスの数の差はあるかなと思います。   

>当然ですが、高学歴の人のほうが圧倒的にチャンスの数は多いです。   

>「おそらく優秀だろう」という理由で多くの人がチャンスを与えてくれますが、これは高学歴の特権だと感じます。    

>もちろん、この先でチャンスをものにできるかどうかは本人次第ですが。    

>――なるほど。かなり納得できます。    

>びーやま:なので今の受験生で、もし将来の可能性を広げておきたいと考えてる人がいるならば、名門大学にチャレンジしてみてほしいなと。    

> しかも、その過程で得られるものも多いですから、きっと人生のいい経験になるかと思います。   

>受験は大変な分、リターンも大きいですから、ぜひ頑張ってほしいです。   

 

それは序列社会の仕来りによるものですね。国際社会では通用しませんね。      

 

>――ありがとうございました。   

 

(略)

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすことに懸命になる。そして、かたい契りの義兄弟になる者もいる。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。個性に焦点を絞ることのない人間比較の叙勲は国体 (序列国家) に関する国民の意識を高めている。    

 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

 

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数26 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/12/15 11:36
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