対話はオープン |
>tend >「最高の会見です」「要らぬ喧嘩を売る」と賛否の声。高市早苗首相、対中関係の懸念に「対話はオープン」と強調 >tendによるストーリー・ >59分・ >高市首相、中国反発に冷静な対応 >高市早苗首相は17日夕方、臨時国会の閉幕を受けて首相官邸で記者会見を行いました。 >会見では、自身の台湾に関する発言に対し中国側が反発を強めている現状や、それに伴う観光業への影響、さらには習近平国家主席との首脳会談の必要性について記者団から質問が飛びました。 >これに対し高市首相は、中国側の反応を十分に認識しているとした上で、課題があるからこそ意思疎通が不可欠であるとの認識を示唆しました。
日本人の課題 [意思があれば] 求めよ、さらばあたえられん。Ask, and it shall be given to you. 意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there‘s a way. [意思がなければ] 日本人には意思がない。意思がなければ責任もない。責任がなければ信頼もない。信なくば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵] たとえば【英対する開戦の詔勅】では 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ (まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。) 開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。 となる。 天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。 [恣意あり] 日本人には意思がないが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思決定 (理性判断) の必要なところで恣意決定 (盲目の判断) を行うときわめて危険である。 阿呆は戦争大好きで亡国の精神の持ち主である。「戦は時の運」とか「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして破るるは、国民の魂も失う真の亡国なり」という言葉があって、わかっちゃいるけどやめられない。ア ホレ スイスイ スーダララッタ 、、、、、、、、 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇) [意思がなければ罪がない] 意思がなければ加害者意識もない。罪に意識もない。天真爛漫である。これは罪を知らない子供と同じ精神状態である。 [供養] 安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから’ と原爆死没者慰霊碑に書いてある。それは ‘ 全ての人人が原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う’ という意味だそうである。 これは供養と同じですね。発言者個人の意思が示されていない。犠牲者個人の意思の内容が讃えられてもいない。わが国には鰻供養、針供養などもある。 [反省の欠如] ドイツの専門家や学者は、世界が反ファシズム戦争の勝利から80年を迎えるいまも、日本は「侵略」と「責任」という基本的な問いに答えられておらず、反省の欠如と歴史認識のゆがみが露呈していると指摘する。 (新華社通信) そうですね。日本人の反省の欠如ですね。これでは問題の追及ができませんね。日本人は浅薄な人間ですね。 日本人には意思がない。だから加害者意識がない。罪の意識がない。精神的な苦痛が軽微であるから反省にこだわることもない。外国から反省の欠如を指摘されることになる。すると怒りに燃える。 [罪がなければ信頼がない] 罪がなければ謝罪もない。謝罪がなければ信頼も得られない。
>首脳間を含めたあらゆるレベルでの対話に対して、日本側は常に門戸を開いているというオープンな姿勢を強調しつつ、中国側の措置による影響を注視し、適切に対応していく考えを表明しました。
それが良いですね。
>また、中国による渡航自粛などの措置が懸念される観光面への影響については、年末の旅行シーズンに向けて多くの人々が国内旅行を予定している点に触れ、日本人が国内各地を巡ることの重要性を笑顔を交えて語りました。 >さらに、特定の国に限らず、多様な国々からの訪日客を歓迎するためのプロモーション活動にも、今後いっそう注力していく意欲を見せています。 >SNS上ではさまざまな意見が寄せられています。 >「高市総理は国民が望む対応、発言をしてくれる 岸破政権時代のストレスが解消される思い」 >「冷静で毅然として最高の会見です。」 >「さらに要らぬ喧嘩を売る高市早苗。つける薬がない。」
中国には腫物に触るような注意が必要でしょうか。
>「高市首相は「ピシャリ反撃」できるような立場ではない。ふざけるな」
そうですね。どこの国にも弱みはありますね。 中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。 ・・・・・ 中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] 東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した] 南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。
>「よく言った!高市さんさすがですね」
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りを練習するばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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