学歴厨 |
>ダイヤモンド・オンライン >旧帝大…早慶…MARCH…。「大学名で志望校を決める学歴厨ってそんなに悪いことですかね。どうせ勉強は頑張るんだからいいじゃないですか」。進路選択の正義を考える >びーやまによるストーリー・ >19時間・ >「大学受験」は10代における最大のイベントです。 >残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。 >それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。 >そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売中です。 >本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。 >本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。 >お悩み相談 >「大学名で志望校を決める学歴厨ってそんなに悪いことですかね。 >どうせ勉強は頑張るんだからいいじゃないですか」※1 >大学名で進路を決めるのはダメなの? >――今回の相談はこれまでの相談とは少し角度が違います。 >ですが、その分本音でもあるように感じます。 >びーやまさんは今回の相談者の悩みついてどう思いますか? >びーやま氏(以下:びーやま):いいですよね。 >大学名で進路を決めるのはなにも間違っていないです。 >学歴厨最高じゃないですか。 >今回の方の進路の決め方はなにも間違っていないです。
そうですね。
> 進路選択となると「将来の夢から逆算する」とか「なるべく実学を学べる学部を」とか、高尚な理由が求められがちですが、実際はこれくらいの理由でいいと思います。 >勉強を頑張るというのはどんな理由でも変わらないわけですから、その人が一番モチベーションを置けるものがいいと思います。
そうですね。
>――シンプルですね。 >ただ、進路選択が高尚というのはわかる気がします。 >今の受験生はみんなしっかりしていますよね。 >びーやま:そう思います。 >学校で「お前は将来なにになりたいんだ」とか「しっかり考えないとダメ」みたいなことを言われるとそれっぽいことを探してしまいがちなんですけど、全員が将来の夢を明確にもっているわけではありませんよね。 > それは悪い意味ではなくて、これから将来を見つけていく段階じゃないですか。 >大学でそれを見つける人は多いわけですから、「自分の可能性を広げるためにもいい大学に」と考えるのは悪いことではありません。 >学歴厨は善か悪か >――学歴厨についてはどう思われますか? >びーやま:これいつも思うんですけど、大学受験に真剣に取り組んだら偏差値とかには敏感になるわけですから学歴厨になるのは当たり前というか、普通のことだと思うんですよね。 > むしろ、本当に大学受験に偏差値なんて関係ないなんて考えている人は少ないのではないでしょうか。 >ちゃんとやっているからこそ人は学歴厨になります。 >――たしかに、真剣にやっているがゆえというのはわかる気がします。 >びーやま:ですよね。 >それで人を攻撃してしまうのはもちろんダメですが、自分が上を目指すうえで学歴厨になるのは正常です。 >「これだけ勉強しているんだから早慶じゃなきゃ自分は認められない」って人間の感情として健全ですよね。 >――学歴厨を悪者にしなくてもいいと? >びーやま:はい。 >繰り返しになりますが、誰かを攻撃するためではなく、自分を奮い立たすためなのであれば、学歴厨大いに結構です。 >それは志望校への強い思いですし、それくらいじゃないと難関大学なんて受かりません。 > 進路選択の話とも被りますが、大学受験って本当に大変なので、きれいごとだけじゃ気持ち的にやっていけないんですよ。 >これは進学先にかかわらず学生時代に受験をやり切った大人ならみんなわかると思います。
所詮、子供の勉強の成果ですね。日本人は子供の勉強の成果で人間序列を作って満足している。だから、大人の勉強の成果 (学位) には執着しない。いつまでも子供じみている。
>本当に勉強は大変ですし、プレッシャーもあります。 > そんな過酷な競争を大義だけでは戦い抜けないですから、あらゆるものを武器に泥臭く戦ってほしいと思います。 >――よく理解できました。ありがとうございました。 >※1:本記事ではびーやま氏、もしくは編集部宛に届いた悩みを扱っております。
(略)
明治以前には身分制度があった。人人は生まれてから死ぬまで自分の身分を変えることができなかった。身分は恨んでも恨んでもどうしようもない代物であった。 それが明治のご一新により学校制度ができて、学業の成績で人間序列が再編されることになった。それで、人々は教育という名の序列競争に熱中することになった。 しかし教育の目的が身分制度の代わりであるために、教育内容よりも席順が大切ということで、それで我が国の学校制度が学問に名を借りた序列争いの場になった。 この人間序列は日本国内に限られていたため、外国留学の必要がなかった。英米流の高等教育は熱心に学ばれなかった。 教育の内容は他人の受け売りの練習に終始し、自己の見解を明らかにする努力はしなかった。序列形成が目的であったから教育内容は問題にならなかったのである。 結果的に学問に大切な個人主義はわが国において等閑視され続けてきた。自己の確立が疎かにされていたから、国際社会での個人対個人の対応に難渋することになった。学歴厨は助けにならない。
日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。 日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。‘以心伝心・阿吽の呼吸・つうかあの仲’といったところか。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。 「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。 孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。 、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。 日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。 宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
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