大学全入時代 |
>ダイヤモンド・オンライン >だから進学は勧められない。世の中のほとんどが知らないFラン大生の実態。大学全入時代だからこそ、進学の意味を考える。 >びーやまの意見・ >6時間・ >「大学受験」は10代における最大のイベントです。 >残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。 >それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。 >そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売中です。 >本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。 >本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。 >大学進学する意味を考える >――「Fラン大」という言葉に象徴されるように、世の中には定員割れなどにより、偏差値が算出できない大学が増加傾向です。 >かつては学生数のほうが多かったため、こういった大学はなかったかと思うのですが、Fラン大学というのは具体的にどういうところなのでしょうか。 >びーやま氏(以下:びーやま):非常に答えづらい質問ですが、恐れなく答えたいと思います。 > まず1つお伝えしたいのは、世の中の受験生や大人はFラン大の解像度が低いように思います。 >はっきり言いますが、皆さんが想像しているよりも大学としてのレベルを保てていないケースも存在するので、進学する際は本当にしっかり検討をしてほしいです。 >――詳しく教えてください。 > まず、最近では、冗談半分なのもあるでしょうが、名前のある有名大学をFラン大と呼ぶ人もいますが、これは明確に誤りです。 >先ほども述べたようにFラン大とは定員割れなどにより偏差値が算出できない、いわゆるボーダーフリー(BF)の大学のことを指します。 >シンプルに偏差値が低い大学すべてを指すわけではありません。 > そのうえで、僕らも何回かFラン大と呼ばれる大学の学生に取材などを行いましたが、後悔している学生も少なくありませんでした。 > その理由は明確で、授業のレベルが低いからです。 >僕らも驚きましたが、英語の授業では一般動詞とbeと違いからはじまったり、教養の授業では分数の計算からはじまったという声がいくつもありました。 > 当たり前ですが、これらは中学校レベルの内容であり、高い学費を払ってまで大学で学ぶことではありません。 >世の中の多くの方は、「なんだかんだ言っても大学だから、それなりの授業は存在する」と考えているかと思いますが、スタートは中学校レベルなんてことはザラです。 >大学進学するからには、それ相応の勉強を >――思ったよりも初歩的なことからはじまるんですね。 >びーやま:もちろん、勉強の基礎を学ぶこと自体は否定しません。 >大人だって英語を学び直すときは中学校レベルからはじめたりしますからね。 >ただ、これを大学でやることは正しいのかというのは考えるべきかと思います。 > それまで、高校でそれなりに勉強していた学生が、高い学費を払って大学でわざわざ中学校レベルからはじめる意味はどこにあるのでしょうか。 > 厳しいことを言いますが、そのレベルに進学するくらいだったら、進学そのものを一度考え直してもいいのではないかと個人的には思います。 > もちろん、家庭の事情などがある場合は別ですが、「なんとなく大学には行っておきたいから」みたいな理由でFラン大に進学したところで、得られるものは本当にあるのでしょうか。 >――よく理解できました。 >たしかに「学ぶレベル」に関してはおっしゃる通りですね。 >びーやま:加えて、意外と受験生が見落としがちなのが、「Fラン大」というのは学歴としては大卒なのに、マイナスに作用しかねないという点です。 > 今の時代であっても、大卒というのはそれなりに意味を持ちます。 >名前の知られている大学であれば、ある程度評価されるのも事実です。 > そんななか、Fラン大というのは、「勉強をサボった」というレッテルを貼られかねません。 >皆さんもなんとなく感じていることかもしれませんが、「このレベルの大学にどうしてわざわざわ進学したのか」という理由がよほど明確でない限り、「勉強はしないけど、なんとなく進学した人」と見られかねないのです。
見栄と外部によるものですね。
>これは思っているよりもキャリアの足を引っ張ります。 > もちろん、人生は学歴だけで決まるものではないですが、わざわざ不利な状況に自分を追い込まなくていいのも事実です。 >――そう考えると、Fラン大への進学はなるべく控えたほうがいいということでしょうか。 >びーやま:そうですね。
今は難関出身者が幅を利かせる時代ですからね。
>しかも、今の時代、ちゃんと勉強すれば名前のある大学には入れます。 >「大学に入りたいのであれば、それに見合った勉強をする」という当たり前のことを当たり前にこなすだけでいいんですから、楽をするのはやめましょう。 >「目先の楽さ」は、将来を苦しめる要因になります。 >なにも東大や早慶を目指せなんてことは言いませんから、普通に教科書の内容くらいはしっかり勉強しましょう。 >それだけで人生の可能性は大きく広がります。 >――ありがとうございました。大変勉強になりました。 >びーやま[著] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。 >早稲田大学教育学部卒。 >高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。 >大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。 >甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。 >決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。 >高田ふーみん[協力] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。 >京都大学経済学部中退(現役合格)。 >学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。 >決め台詞は「Fランやないか」。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 哲学は各人に必要である。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。 英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表現することができる。 未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。思春期には罪の告白も可能になる。 深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる原動力になり、事故の原因究明がうやむやにはならない。
罪の意識が高じて魂の救済を必要とする人も出て来る。だから、贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。 こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。天真爛漫な子供の顔が、悪びれた大人の顔になる。 どこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本語は現実の内容だけを話す写生画のような言語である。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。日本人は未来の世界の内容に確信を持つことができない。 だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習を開始すると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の印欧語族の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地がない。 難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりに気を取られていて、それで国のかじ取りが危うくなっている。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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