偽りの礼儀 |
>Record China >日本の「偽りの礼儀正しさ」への批判に反論殺到=「どこがだめ?」「悪いけど日本人は…」 >Record Chinaの意見・ >7時間・ >中国のSNS・小紅書(RED)に11日、「日本の偽りの礼儀正しさ」と題する投稿があり、反響を呼んだ。 >大阪在住の投稿者の男性は「この感覚をどう表現すればいいのだろう。 >まるでみんながそれぞれ透明なガラスのカプセルに入っていて、互いに姿は見えるし、表面上は丁寧にあいさつもする。 >でも、一生かかっても相手のカプセルの中に入ることはできない。
日本人の社会は序列社会ですからね。固い契りの義兄弟になるのは難しい。わが国の外国人は外人になっている。外人とは序列外の人のことです。
>そんな感じだ」とつづった。
それもそうですね。
>そして、日本の社交の場で発せられる言葉の例として「今度ご飯行きましょう」を挙げた上で、この言葉の本音は「もう二度と会わない」だと指摘。 >もし本気にして「いつ空いていますか?」と聞くと、相手はニコニコしながら内心「この人、空気読めないな」と思うのだとした。
それもありますね。
>また、日本人の笑顔は「半永久メイク」みたいなものだとも言及。
そうですね。それはよそ行きの顔ですね。
>この笑顔は「仕事上の必要性」によって作っているだけであって本当にうれしいからではないとし、「(彼らは)心の中で何万回もこちらをののしっていても、表情一つ変えずに丁寧にお辞儀をすることができる」とつづった。 >さらに、日本で「他人に迷惑をかけない」という言葉の意味は「あなたも私に迷惑をかけるな」という含意があるとし、「この極端なまでの境界意識は、確かに生活を便利にするものではあるが、同時に本当に息苦しい。
それもありますね。他人に被迷惑をかけると日本では敗者になりますね。
>転んでも誰も助けてくれないかもしれない。 >つらくても誰も声をかけてくれないかもしれない。 >みんながみんな、『他人に迷惑をかけない』ことに必死だからだ」と指摘した。
そうですね。自己責任の社会ですね。
>この投稿に、中国のネットユーザーからは「私は『偽りの礼儀正しさ』は好き。 >『無礼』が嫌い」 >「『偽りの礼儀正しさ』は『無礼』よりはマシ」
そうですね。
>「じゃあなたは面と向かって罵倒され、蹴りを入れられたいわけ?」 >「何と比べるかだろう。 >『偽りの礼儀正しさ』はもちろん『真の礼儀正しさ』には劣る。 >でも、『真の無礼』と比べたら…?」 >「表面的に取り繕うこともなく、距離感なんてまるでない環境の方がよっぽど抑圧的になると思う」といった声が上がった。
‘親しき中にも礼儀あり’ですね。
>また、「相手が『こっちのカプセルに入ってほしくない』って思うことのどこがだめなの?」 >「そもそも礼儀自体が本来、表面的なものでしょ。
そうですね。日本人は儀仗兵の最敬礼の様なものですね。誰一人として間違えてはいけない。
>初めて会った人に対して心の底から微笑みかける人なんている?」 >「真の礼儀正しさをなぜ欲する? >あなたはすべての人に対して心を開くのか?」といった指摘も。 >このほか、「中国だって転んだ人を誰も助けないだろう」 >「私が日本で転んだ人を見た時は、必ず誰かが助け起こしていた。 >誰も助けなかったことは一度もない。 >酔っ払いは例外だけど」 >「どっちにしても、そこら辺に痰を吐き、列に並ばない(中国のような状況)よりはマシ」
そうですね。
>「中国では周囲の迷惑も顧みずそこら辺でたばこを吸うし」 >「悪いけど、日本人は本当に礼儀正しいよ」といったコメントが寄せられている。 >(翻訳・編集/北田)
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら寄与していない。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。個性を勘案したら序列判定に不公平が生じる。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験することができない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
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