学歴は身分 |
>ダイヤモンド・オンライン >「世の中学歴じゃない」を真に受けた人を待ち受ける残酷な現実。なぜ大学はこれほどまで人生に影響を与えるのか びーやまの意見・ 11時間・ >「大学受験」は10代における最大のイベントです。 >残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。 >それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。 >そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売中です。 >本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。 >本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。 >学歴はいる? いらない? >――「世の中学歴じゃない」と言う人は一定数います。 >その主張も決して間違いではないと感じるのですが、びーやまさんはこのことについてどう思われますか? >びーやま氏(以下:びーやま):僕も主張自体は間違っていないと思います。 >学歴だけで世の中が成立するんだったら中卒や高卒で活躍している人はこんなに多くないですからね。 > ただ同時に、「世の中学歴じゃない」ということを受験生に言う必要はまったくないと思います。 >ある程度の大人ならわかると思いますが、世の中「学歴は不要」と言えるほど甘いつくりにもなっていません。 >――詳しく教えてください。 >びーやま:これまでも何度か主張してきましたが、学歴は凡人のためのものです。 >よく、世の中の一例だけを取り上げて「中卒でも社長になった」とか「Fラン大卒でも大企業の管理職になった」みたいなことを言う人がいますが、それよりも圧倒的に名門大学を出て活躍している人のほうが多いわけです。 > 要するに、学歴がなくても活躍できる人はいるにはいますが、その人たちは天才的というか、かなり特殊な存在だと僕は思います。 > なので、「学歴はいらない」という言葉を今の受験生には真に受けないでほしいです。
そうですね。序列社会のわが国においては学歴は身分の言い換えの様なものですからね。
>――学歴があることのメリットを教えてください。 >びーやま:キャリアの例で考えるのがわかりやすいですが、チャンスの数が圧倒的に違いますよね。 >新卒就活では「学歴フィルター」が存在しますし、ほとんどの会社が最初は高学歴な人をキャリア組のエリートとして考えます。 > もちろん、そのチャンスを掴み取るかどうかは本人次第ですが、若いうちはそのチャンスに価値があるわけですから十分にメリットと言えますよね。 >勉強も頑張らないで、どうしてその後も頑張れると言えるのだろうか >――なるほど。 >よく理解できました。 >基本はちゃんと高学歴を目指すのが正解ということですね。 >びーやま:もちろん、ちゃんと理由や覚悟があるなら高学歴にこだわる必要はないと思います。 >ただ、勉強からは逃げたいけど、自分はセンスもあるから将来大丈夫だろうと考えているのなら大間違いです。 >そんなに世の中甘くありません。 > そもそもですが、中卒高卒で経営者として成功を収めるより、名門大学に入るほうが圧倒的に簡単なわけですから、そのくらい乗り切りましょう。 >大学受験は問題も答えもはっきりしているわけで、それすらこなせないのに「自分なら大丈夫」と考えるのは間違いです。 > 加えて、今目の前のことも頑張れない人がどうして未来でも頑張れると言えるのでしょうか。 >人生は結局「今の努力の積み重ね」なわけですから、受験くらい頑張らないととは思います。 >――その点だと、受験以外でも頑張るものがあればいいということでしょうか。 >びーやま:おっしゃる通りです。 >スポーツでも芸術でも頑張れるものがあればいいでしょう。 >ただ、大事なのはそこにちゃんと結果がついてきているかという点です。 > 世の中的に「頑張り」とは「結果」で評価するものです。 >残念ながらどのくらい時間をかけたかなどはさほど見られません。 >そのときに、スポーツや芸術で生きていける人は何人いるでしょうか。一握りなはずです。 > 一方、学歴は一握りの世界ではありません。 >大抵の大学は努力の世界ですし、誰にでも門が開かれています。 >こういったところにも「学歴は凡人のためのもの」と僕が主張する理由があります。
そうですね。我が国においては、学歴は身分の言いかえにすぎませんね。
> いずれにしても、学歴はいるに決まっています。 >なくてもいいですが、その分のダメージも大きいです。 >学歴がなくても生きてはいけますが、学歴がないことで損をすることはあるわけですから、受験生にはちゃんとそのあたりを考えて進路選択をしてほしいと思います。
そうですね。序列社会の祟りは恐ろしい。
>――ありがとうございました。 >大変勉強になりました。 >びーやま[著] (略) >高田ふーみん[協力] (略)
日本人には世界観がない。日本語文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文にすることができない。過去・現在・未来とか前世・現世・来世とかいう非現実の独立した世界の内容を文の内容として表すことができない。 政治には未来の先取りが必要である。政治指導者は未来の世界の内容を国民に提示して理解を得て、国民を導く必要がある。わが国の政治家と国民にはそれがないから指導力が発揮できない。現実にとどまっているから、話が小さくなる。その日暮らしになっている。 我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。 哲学は各人に必要である。英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。 未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。思春期には罪の告白も可能になる。 加害者意識により深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。それで、事故の原因究明が進む。
加害者意識の進化により魂の救済を必要とする人も出て来る。 贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になっている。 贖罪により浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。 だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言葉と言われている。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。 だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。 難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。序列社会の存在と日本人の視野の狭さとは関係がある。それで国のかじ取りも危うくなっている。
他人の受け売りをするのが子供の勉強で、自己の見解を明らかにするのが大人の勉強である。 日本の大学は入学が難しく、卒業が楽である。英米系の大学は、その逆である。 日本の大学は子供の学習成果を基にして選抜試験を行う。英米系の大学は大人の学習成果を基にして卒業を認定する。学士、修士、博士の学位が得られる。博士号のない人は学者と認められない。 日本で子供が激しく勉強し、大切な大人の勉強がだらけているという現実は理に合わない。これは亡国の兆しである。 学問の内容は国際的なものですね。だから教育も国際的なものでなくてはならない。そうでなければ教育は、学問に名を借りた序列争いの道具になる。 人間の教育を語るときには世界を視野に入れた方がよいですね。井の中の蛙を育てるのは良くないですからね。わが国のせっかくの開国の努力に逆行しますからね。 高等教育の程度は、’THE世界大学ランキング’‘世界大学学術ランキング’‘QS 世界大学ランキング’を参考にすると良いですね。[QS: Quacquarelli Symonds]
このような教育格差の状態で日本が英米と戦争をしたら、子供対大人の戦いになりますね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
|