老後の終活 |
>ダイヤモンド・オンライン >老後の終活、何をすべき? →池田清彦の答えが火の玉ストレートで何も言えない >池田清彦によるストーリー・ >5時間・ >近年、日本でも「安楽死を認めるべきだ」という議論が盛んに交わされるようになった。 >苦しまずに死にたいと願う気持ちから賛成する人も多いが、生物学者の筆者はその考えに警鐘を鳴らす。 >尊厳死が制度化されると、残酷な未来が待ち受けているというのだ。 >※本稿は、生物学者の池田清彦『老いと死の流儀』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。 >安楽死が制度化されたら高齢者蔑視はますます強まる > 死後の世界は自分で好きに思い描くことができますが、一方で「死そのもの」は、誰も管理することはできないと私は思っています。 > 近年は安楽死や尊厳死を認めるべきだ、という議論が日本でも盛んに行われ、実際ヨーロッパの一部の国々やカナダでは、医師が薬を投与する「積極的安楽死」や本人が薬を服用する「医師幇助死」は合法化されています。 > 確かに「苦しまずに安らかに死にたい」という願いは、人間として自然な感情でしょうし、私だってそうであればいいなと思います。 > ただ、「死を制度として整える」ことには強い懸念があります。 >「本人の自己決定を尊重する」というのはとても耳に心地よい言葉だとしても、そこには社会全体の価値観を変えてしまう危うさが潜んでいるからです。 安楽死や尊厳死が認められていない現在の日本でさえ、「高齢者医療費の増大」や「介護の社会的負担」といった現実が色濃く影を落としているせいで、「人に迷惑をかけるくらいなら早く死んだほうがいいのではないか」といった空気は少なからずあります。 > もしも、自分の意思で死ねるという制度が整えば、この空気はもっと強くなっていくに違いありません。 > つまり、「死ぬ権利」を尊重した結果、「生き続ける自由」よりも「死を選ばされる圧力」のほうが強くなってしまいかねないのです。
そうですね。’そんなに生きているのが苦しいのなら、死んだらどうですか。楽になりますよ’ などと助言を受けたら、変な気持ちになりますね。すべてを自助努力で解決できるということになりますかね。
>安楽死制度の行き着く先は生きていい人の選別 > また、「死を選ぶ」という選択が本当に本人の自由意志なのか、それとも周囲の期待や社会の空気に押しつけられたものなのかの区別など、つくはずはありません。 >「本人がまだ冷静に判断できるうちに、意思を確認しておけばいいじゃないか」などと言う人もいますが、人の考えなんてずっと同じではありません。 >若いときから「早く死にたい」と言っていた人が、いざ死を目前にすると「やっぱりもう少し生きたい」と思い始めることはザラにあります。 >「寝たきりになったり、重度の認知症になったら生きていても仕方がない」というのは、多少なりとも元気な人の考え方で、実際に自分がその状態になったら考えが変わる可能性は十分あります。 > また、明確な意思表示ができなくなったとしても、心までなくなったとは限りません。 >だから、本人に確認のしようがないからといって、ある時点での意思確認でその命を制度的に縛ってしまうのは、極めて危ういことだと私は思います。 > 海外でも安楽死を制度化した国では、当初の想定よりも対象が拡大してしまった事例が報告されています。 >もともとはがんの末期患者だけを対象にしていたはずが、次第に高齢で認知症の人、精神疾患で苦しむ人へと広がり、ついには「社会にとっての負担」という言葉まで持ち出され始めているのです。 > これではそのうち、死が「個人の自由な選択」ではなく「社会的な管理」の一部になってしまうでしょう。 >それは、「生きるか死ぬか」という究極の選択に社会の価値観を持ち込むことになり、人間の尊厳をむしろ脅かすことになりかねません。
個人の選択が、社会の選択に置き換えられますね。
> 医療が発達した結果、「自然に死ぬ」ことが難しくなっているという現実は確かにありますが、それでもやっぱり私は、それが本当に本人の意思であったとしても、「死の自己決定権」という考えには、どうしても賛成できないのです。 >自分が死んだ後のことを心配して終活する人の気が知れない > じゃあ、いい死を迎えるためにやっておくべきことは何かというと、結局のところ、特に何もする必要はありません。 >死ぬまで生きればいいだけです。 > 近年は「終活」なんてものがブームどころかもはや「当たり前のこと」になりつつありますが、正直、私にはあれをやる人の気が知れません。 >せっかくの現在の貴重な時間を死ぬ準備にせっせと励むなんて、死ぬために今を生きるようなものです。 > しかも実際のところ、多くの人がやっている終活は、死んだあとに周りに迷惑をかけないようにというのが目的になっていて、自分というより、人のためにやっている面が強いのではないでしょうか。 > そもそも整理整頓という時点で、私にとっては「死ぬほど面倒くさいこと」なので、仕方ないけどやるか、という気にはなれません。 >無理にやろうとすれば、ストレスが溜まりすぎて、寿命を縮めかねないとさえ思っています。 > 何せ本は1万7000冊以上はありますし、虫の標本は1000箱以上あって、しかもまだ標本に整理してない虫が山ほどいます。 > カミさんは「あなたが死んだらこれをどうすればいいの?」なんて言ってますけど、まあ、誰かが適当に処分するでしょう。 >息子たちには売ってしまってもいいよと言っていますが、もしかしたら孫が気に入って引き継いでくれるかもしれませんしね。 >どっちにしても、私はもう死んでいますから、それはもう人ごとです。 >終活をする時間があるならその分楽しいことをしたい > 自分勝手だと言えば確かにそうなんですが、別にいいじゃないですか。 >死んだあとまで周りにいい顔しようなんてあまり考えないほうがいいですよ。 >多少散らかったまま死ぬくらいのことであれば、迷惑をかけるといってもたかが知れているでしょう。 > 自分の葬式のことを、死ぬ前からああでもないこうでもないとあれこれ考え、周りに指示しておく人もいるようですが、葬式のときには自分はもう死んでいて、所詮は人ごとなのですから、どのみち自分には関係ありません。 > どうせ誰かが好き勝手に処理していくのですから心配しなくたって大丈夫なんですよ。 > 死んだあとのことをいくら考えたところで、自分がそれをやるわけではありません。 >だったら、まだ自分でコントロール可能な「生きている時間」のほうに力を注いだほうがよほど建設的です。
そうですね。
> 死ぬための準備に貴重な時間を使うより、今この瞬間を適当に楽しく過ごすこと。 >――それこそが、真の意味での「終活」、つまり「人生の終わりのためにする活動」なんだと思いますよ。
そうですね。
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