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2026年01月20日(火) 

 

>テレビユー福島   >「福島第一原発事故の教訓を学んでいない、学ぼうとする姿勢もない」中部電力のデータ不正受け 福島の原告団が声明   >テレビユー福島によるストーリー・   >14時間   

>中部電力が、浜岡原発のデータを不正に操作した問題を受け、福島の原発事故の原告団が、声明を出しました。    

>福島第一原発の事故で国と東京電力を訴えている生業訴訟の原告団は、18日、中部電力のデータ不正問題について会見を開きました。    

>中部電力は、浜岡原発の再稼働審査でデータを不正に操作し、意図的に地震の揺れを小さく見せていたことが明らかになっています。    

>これを受け、原告団は、全国のほかの原発についても捏造の有無を含めて徹底した安全性の検証を求める声明を出しました。   

 

それは当然のことですね。   

 

>生業訴訟・中島孝原告団長「一連の流れは福島第一原発事故の教訓を学んでいない、あるいは学ぼうとする姿勢もないことからきていると感じた」   

 

そうですね。日本人はいつまでたっても真面目人間になれない。まだ子供ですからね。        

 

>原告団は、16日、国や、全国の原発を持つ電力会社など43か所に声明の決議文を送ったということです。   

 

それは当然のことですね。  

 

 

わが国における没個性の競争は同次元の学力競争になっている。日本人は序列の存在を知れば一も二もなくその存在価値を信じ込む。      

 

災害があれば ‘過ちは繰り返しませぬから’という。しかし日本人には真摯な反省がないので徹底した原因究明には至らない。これが歌詠みの世界のむなしい仕来りである。   

日本人には意思がない。がから加害者意識もない。加害者意識が高じると罪の意識になるが、それもないので罪もない。日本人は天真爛漫として悪びれたところがない。まるで子供のようなものである。   

罪の話や謝罪の話を日本人に持ち掛けると驚いて非人道的なたくらみをそそのかされているものと警戒される。魂の救いを求める日本人もいないので、日本の宗教 (神道・仏教) も罪から距離を置いている。    

 

罪を語らない人間は、真面目人間になれないから信頼されない。真摯な原因探究が行われないから事故原因がうやむやになる。     

日本人は恨みっぽい。加害者意識はないが被害者意識だけはある。加害者意識が被害者意識を抑制することがないから反省がない。それで恨みが止まらない。わが国では化け物までが「恨めしや―」と言って出てくる。

 

印欧語の文法には時制 (tense) というものがある。時制は過去・現在・未来の非現実の内容を表す構文を作る。意思は未来構文の内容となるから印欧語族には意思がある。

印欧語族には意思がある。それで加害者意識もある。加害者意識が高じて罪の意識になる。天真爛漫の顔が悪びれた顔になる。この時に言語未発達の子供が大人に成長する。

災害があれば真摯な反省の下で徹底した原因究明が行われる。その真面目さで科学が発展する。科学は実験と観察の結果に自己のストーリー (非現実) を当てはめて作るものである。現実肯定主義の日本人には自己のストーリーがない。        

   

日本人には加害者意識も罪の意識もないから臆面もなく自己の被害だけを世界に向かって述べ立てることになる。体験談ばかりでは時代を展開する術はない。原因の究明とその対策の発案が必要である。  

 

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数19 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/01/20 05:23
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