近藤誠一氏 |
ニューズウィーク日本版 日本文化はマンガやサムライを超えている...元文化庁長官がオランダの学生に勇気づけられた「ある一言」とは? 近藤誠一アステイオンの意見・ 6時間・ ><海外が日本文化に関心を抱いていることに、日本人はもっと自信をもっていい> >ライデン大学にて >「え? マンガやアニメに関心があったのではないの?」 >「マンガ、アニメはもちろん好きですけど、私は、日本人がこんなに深い文化を作り上げてきた歴史を知りたいんです。
ぜひ探究してくださいね。
>それも日本文化史の研究というより、ひとつの分野、例えば建築の研究を深めることで探究したいんです」 >オランダのアムステルダム郊外にあるライデン大学の日本学科クラス。 >2025年12月に3日連続で行った英語による日本文化の授業の後、教壇にやってきた背の高い女子学生とのやりとりだ。 >オランダは鎖国中も日本との交流を続けられた好機を生かして日本研究を深めた。
そうですね。オランダは日本が西洋に開いた唯一の窓口でしたね。
>中でもライデン大学は世界に先駆けて日本学のコースをつくり多くの日本学者を輩出している。 >そして筆者が会長を務めるJAPA(美術文化振興協会。福田赳夫元総理の「福田ドクトリン」に基づいて設置された国際交流の公益財団法人)は、20年前にこの大学との交流を始め、以来日本文化の伝達を地道に続けてきた。 >戦後の安定したリベラルな秩序が崩れて、世界の振り子が急速にリアリズムに傾き、同時にAIの目覚ましい進化で、他国の文化の地道な研究など「タイパ」が悪いことは相手にされにくい中で、ヨーロッパの小国の大学生が自国の歴史をしっかりと踏まえ、このような質問をしたのだ。 [タイパ: time performance (時間に対する効果)] >授業では日本文化の一般論ではなく、世界遺産の富士山、桂離宮、能のような有形・無形の文化財を入り口に日本文化の本質を説明した。
日本文化には現実があって非現実がない。
>しかしヨーロッパの学生たちが漫画・アニメを超えて、どこまで分かってくれるかが不安だった。 >講義を無事に終え、この学生の言葉を最大の成果として胸に抱いて帰国した。 >そして手にしたのが、『アスティオン』103号の「発信する日本文化」特集だ。 >この特集は茶道、華道、和音楽、和食、映画など多くの分野を対象にしている。
日本文化には現実があって非現実がない。
>ページをめくると、共感を覚えるキーワードが次々と出てくる。 >自然との一体感や自然から学ぶ美、それも永遠に固定された絶対的美ではなく、「移ろい」を愛で、「間」や「余白」を重んじるこころの美、調和の大切さ、そして侘び、さびを愛しむ深みだ。
そうですね。
>そして「道」(どう)によって育まれる精神性、自己陶冶の心がけ、技の身体性、その継承方法など。 >ライデン大学の授業で学生たちに伝えたかったことと大いに重なる。 >自然との一体感に関しては、美の源は自然にあり、それは花が真っ盛りのときの完成された美だけではなく、つぼみや枯れたあとの老木にも、かけがえのない「命」のつながりの一部としての美を見るという池坊専好次期家元の言葉が印象的だ。 >それは儚(はかな)さをものごとの本質と見る無常観に通じる。
気分・雰囲気・感情をとらえる歌詠みの様なものですね。
>そしてそれと表裏をなすのが「間」の意味の深さだ。 >故千玄室大宗匠は、お茶の点前のときには「静けさと間合い」の中に思いやりが宿る。 >それはコーヒーを出すときには全く感じられぬ日本文化の「核心」だと断言される。 >一椀のお茶は、その小さな容器に広大な宇宙観を秘め、緑の茶は地球の自然を表しているという時空を超えた壮大な構想を提示される。
日本人には世界観がない。過去・現在・未来の独立した三世界の内容を語ることはできない。
>精神性や自己研鑽についてもお茶とお花の双方において重要な軸となっていることがこのお二人によって明確に表された。 >また作曲家の桑原ゆう氏は、日本音楽における「音」がもつ意味は西洋音楽とは全く異なると述べる。 >ひとつひとつの音は単に演奏者の行為がもたらす結果だけでなく、それぞれの音の「振る舞い」が他の音や周囲の空間に影響を及ぼしつつ音楽になるという。 >音を独立したものと捉えずに、他の音との関係性を重視するということは、雅楽の笙(しょう)がメロディーより和音を重視することとつながり、日本人の宇宙観に通じる発想と言えよう。 >「グリッサンド」(音を滑るように移行させていく奏法)は、単に最初の音から、目的地としての最後の音までをつなぐことに意味があるのではなく、その「あいだ」の瞬間の連続にこそ意味があるという。 >それは能や茶道に見られる、「間」(ま)や「あわい」を意識するという日本文化の中核をなす発想であり、どこか量子力学にも通ずる。
日本文化には現実があって非現実がない。
>日本文化の価値を海外に届けるには >日本文化の真髄であるこれらの要素を、その対極にある近代合理主義、とり分け主客二元論や個人主義、成長至上主義、普遍性という概念の信仰にどっぷり漬かっている欧米文明の人々にどうすれば分かってもらえるのだろうか。
欧米人は考えを求めている。
>岡倉天心は「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう」と言って、彼らの思い込みの強さを嘆いている(『茶の本』1906年)。
難しいですね。彼らの努力は理解力ですからね。以心伝心などではない。努力の方向が違っている。
>それは(一社)TAKUMI-Art du Japonを立ち上げて伝統工藝の魅力と価値を国内外に正面から説明し続けながら、目に見える成果に到達できない苛立たしさをもつ筆者が日々感じるところでもある。 >しかし桂離宮に魅せられたドイツの建築家ブルーノ・タウトが、天心の上述の言葉を意識してか、「西洋は何と云っても東洋を理解し得ないということであるが」、それは政治や貿易の抗争に起因するもので、「真に理解しようとするならその方法はもちろんいくらでもある」と述べている(『日本文化私観』1936年)ことを想起すれば、あくまで自信をもって努力を続けるべきことは明らかだ。
理解の対象は理屈である。日本の文化は理解の線上にはない。
>筆者がライデン大学の学生のひとことにどれほど勇気づけられたかはご推察頂けるであろう。 >それでは何をすべきか。 >外国人に有形・無形の世界遺産のみならず、日本人の毎日の季節の挨拶から年中行事に至るさまざまな「生活文化」に浸ってもらうことが重要なことはいうまでもない。
そうですね。体験です。アニマルも同じです。
>体験と対面の対話なくして真の異文化理解は不可能だ。
そうですね。体験は真の教養ですね。
>その意味で本特集の編集を担われた佐伯順子教授が示唆しておられるように、この特集のタイトルになっている日本文化の「発信」が、単にいま流行のSNSに流すだけでよいという意味で社会に受け取られるなら、それだけでは十分とは言えない。 >しかし同時に最新のITがつくる音や映像、ストーリーが与えるインパクトを無視すべきではない。 >その点で刺激を受けたのが、京都の国際日本文化研究センター副所長フレデリック・クレインス氏のである。 >サムライは新渡戸稲造の『武士道』以来、多くの書物や映画によって名誉と忠誠心を重んじ、切腹も辞さない集団というイメージが発展してきた。 >しかしそれらは歌や茶道の発展という武家社会の重要な文化的役割には触れていない。 >それが2024年のエミー賞最優秀ドラマシリーズ賞を受賞した「SHOGUN 将軍」によって大きな前進を遂げ、文化的要素が商業的にも成功し得ることが証明されたという。 >クレインス教授は、これからの日本文化の「伝達」(彼も「発信」の用語は避けている)に当たっては、新たな題材を探すよりこうした身近な対象の奥深さを描く方法論が必要と述べる。
そうですね。以心伝心ですね。
>以上が示唆するのは、海外の日本文化への関心の高まりの奥に、近代合理主義のマイナスの側面に対する欧米人の密かな反省があるとすれば、日本の伝統文化の思想の価値に自信をもち、一層積極的に機会を探し、掴んでいくという姿勢を官民でもてということではないだろうか。
西洋の合理は理屈であり、文の内容になっている。日本の文化には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。理解することは不可能である。だが体験により伝えることが可能である。
>近藤誠一(Seiichi Kondo) >東京大学卒業後、1972年外務省入省。 >ユネスコ日本政府代表部大使、駐デンマーク大使を経て、2010~2013年文化庁長官。 >退官後は東大、同志社大などで教鞭をとり、現在国際ファッション専門職大学学長、人文知応援フォーラム代表理事、TAKUMI-Art du Japon代表理事などを務める。 >『近藤誠一全集』I~IX(かまくら春秋社)など著書・論文多数。
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