前原志保氏 |
>47NEWS >高市氏答弁が撤回できない理由、それよりも大事なことは…「ロジックが違う隣国」、謝罪で解決するというのは日本的発想【中国の今を語る】 >47NEWSによるストーリー・ >16時間・ > 台湾有事に関する高市早苗首相の国会答弁を受けて悪化した日中関係は、緊張状態が続きそうだ。 >台湾地域研究が専門の九州大の前原志保准教授は、答弁撤回は抑止力の観点から難しいと語る。 >それよりも、中国の主張を踏まえて、日本政府にはすべきことがある、との立場だ。 >さらに、「ロジックが全く違う隣国」だからこそ、言葉や文化を学び、中国の戦略を見極める専門家の育成が重要だと言及した。 >(共同通信・日中関係取材班、取材は2025年12月5日に実施) >▽遠慮している場合ではない >―中国は答弁の撤回を求め続けています。 > 「私は基本的に、高市さんの答弁を聞いて『なぜ今、それを言ったのか』と疑問に思いました。 >ただ、直後に『従来通りの立場です』と修正をかけた。 >これ以上の修正は現実的ではないというのが私の考えです。 >撤回すれば、日米安全保障条約の『極東条項』にも関わってくる。 >台湾で何か起きた時の対応は曖昧にしておかなければ抑止力が働かない。
そうですね。
>撤回すれば、中国に『日本の手は封じた』と思われてしまう」 > 「一番大事なのは日本の立場を他の国に知らせることです。 >日本と中国の間で何が起きているのか、対外的にアピールする。 >中国はこの点で非常にたけています。
そうですね。
>このままだと、中国の『日本にやられた』というような主張ばかりが世界中に流れ、日本の言い分が聞こえない状態で判断されてしまう。 >中国に経済的に依存する国々も少なくありません。 >『私たちは台湾を“侵略”しようなどとは考えていないし、中国の立場を従来通り尊重している』と丁寧に説明していく必要がある。 >遠慮している場合ではありません」
そうですね。
>▽サンフランシスコ平和条約が「無効」? > ―中国政府は、戦後日本が主権を回復し、国際社会に復帰した1951年調印、52年発効のサンフランシスコ平和条約を「不法で無効だ」と主張しました。 > 「中国がサンフランシスコ平和条約や国連憲章の『旧敵国条項』を持ち出したのは、戦後の国際秩序に対する不満の表れかと思います。 >同条約を無効だと言っているのは、自分たちが参加していなかったということが大きいでしょう」 > 「台湾の地位について、日本はサンフランシスコ平和条約で権利を放棄し『言う立場にない』状況です。 >ポツダム宣言の第8項でも日本は『私たちの領土はここだけです』と言っているし、それ以上どうこうする気も、どこかの国を攻めるつもりもない。 >しかし、中国側はそのようには受け取っていない。 >自らのロジックでしか日本を見られないので『日本は台湾を取り戻そうとしている』と宣伝している」
そうですね。中国は中華思想に囚われていてで自己中心的ですね。
中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。 ・・・・・ 中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] 東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した] 南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。
>*米英、中華民国によるポツダム宣言第8項は、日本の主権は本州、北海道、九州、四国および連合国が決める諸小島に限るとした。 > 「今回、国内でサンフランシスコ平和条約やポツダム宣言といった一般の人はあまり考えないことを見直し、中国のつくるナラティブ(物語)について議論する動きも起きたのは良かったと思います。 >ただ左右の立場を問わず、議論する際に自分のロジックに合うナラティブしか受け入れない姿勢にならないよう、気を付けなくてはならないと感じました」 >▽中国大陸のミサイルが台湾を向いていて… > ―「一つの中国」を議論する際にも、気を付ける必要があると指摘する文章を発表されました。 >中国政府が言う「一つの中国」原則と、米国などの取る「一つの中国」政策があるということですが、どう違うのでしょうか。 > 「(1)中国は一つ、(2)台湾は中国の不可分の領土、(3)中華人民共和国が中国を代表する唯一の合法政府―これが中国政府の言う『一つの中国』原則です。 >一方、例えば米国の取る『一つの中国』政策とは、米国政府はこれを受け入れたわけではなく、『認識』(acknowledge)するとしています。 >日本政府の立場は『十分理解し、尊重する』というものです」 > 「中国政府は『原則』を大事にしています。 >その原則に対して、各国のいう『政策』は『私たちは、中国政府がそういうことを言っているのは知っている』という態度をとり続けることです。 >原則と政策は思惑が異なっているので、区別する必要があります」 > 「基本的に、日本は(台湾問題を)平和裏に解決するのであれば良い、という立場です。 >ただ、もう『平和裏』ではなくなってしまった。 >台湾の人々は中国大陸のミサイルが台湾を向いていることを知っています。 >中国大陸が『同胞』と呼びかけても、『それが同胞にすることか』と思っている。 >また台湾自身が今後どうありたいのか、人々の考えも皆違って、まとまりづらい。 >みんながみんな独立したいわけではありません」 >▽先行きが不透明になってきた > ―台湾有事と存立危機事態認定の可能性をどう考えますか。 > 「米中がぶつかった場合しか現行法の範囲では存立危機事態にはなり得ません。 >そして、そうした状況が起きないよう同盟国と協力し、抑止力を用いて止めるしかない」 > 「以前から研究者の中で台湾有事の話はありましたが、現実的というよりも『備え』として見ておくべきだという雰囲気でした。 >『まさかそんなことはしないだろう』と基本的に考えられてきましたが、ロシアによるウクライナ侵攻以降、ちょっと分からなくなってきた。 >また、中国を『日本的な常識』で見てはならないことには注意が必要です。
そうですね。日本には中華思想の信奉者はいませんからね。
>国の下に政党がある日本と、国の上に中国共産党がある中国は全くロジックが違うのです」
そうですね。
>▽「嫌いな国はどうでもいい」ではいけない > ―反発を続ける中国に日本はどう対応すべきでしょうか。 > 「戦狼(せんろう)外交は中国のいつものやり方で、慣れるしかありません。 >謝罪や撤回をすればうまくいくと思うのは日本的な発想です。 >日本は中国との対話にオープンだと示しながら、理不尽な要求には応じない姿勢を見せるべきです。 >また、今回のことにより、国際的な会議などで排除されている台湾に対する圧力を中国がさらに強めていく可能性もある」 > 「中国に対する印象が悪くなっていくと、どうしても中国語や中国に関する勉強をする人が減ります。 >ただ今回の件で分かるように、中国は本当に大変な国です。 >ロジックが全く違う、しかし、私たちの近くにある。 >私たちはその戦略をきちんと見極められる専門家を育てていかなければならない。 >翻訳ソフトで外国語の表向きの意味は分かります。 >でも言葉の強さ、文化的な背景を踏まえた感覚、そうしたものを時間をかけて身につけるのは人間しかできない。 >『嫌いな国はどうでもいい』ではいけない。 >交流を減らさず、互いを理解しようとすることが必要です」
そうですね。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
> × × > 1975年生まれ。 >福岡県出身。 >カナダのブリティッシュコロンビア大卒。 >英リーズ大大学院修士課程修了(中国研究)。 >台湾大国家発展研究所で法学博士号取得。 >2024年から九州大大学院人間環境学研究院准教授。
日本人は ‘個人の考えは通らない’ と教えられている。そこで日本人は周りの人と相談をして考えを決めることにしている。 日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。 [2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。
日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。‘以心伝心・阿吽の呼吸・つうかあの仲’といったところか。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。 「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
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