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2026年02月01日(日) 

 

>All About   >「女性のスカートを濡らした程度か!」周恩来激怒。田中角栄の軽すぎる謝罪が招いた「歴史の遺恨」   >武田一顕によるストーリー・   >4時間・   

>1972年9月、日中国交正常化の晩餐会で田中角栄首相は「中国国民に多大なご迷惑をかけた」と謝罪しました。    

>しかし通訳が伝えた中国語は「添了麻煩(ティエンラ・マーファン)」——女性のスカートに水をかけたときに使う軽い謝罪の言葉。    

>これを聞いた周恩来総理は激怒します。    

>「数百万人を殺した国の総理が使う言葉ではない!」。    

>このすれ違いが、今日まで続く日中間のわだかまりの原点になっていました。    

>中国通ジャーナリスト・武田一顕氏の著書『日本人が知っておくべき中国のこと』(辰巳出版)より一部抜粋・編集し、日中戦争から国交正常化に至る歴史を振り返ります。    

>今の日中関係に影を落とす日中戦争    

>ここで一度、日中の近現代史をさかのぼっておきましょう。    

>近年の日中間の軋轢には、日中戦争が影を落としています。    

>中国と日本にはなぜ1972年まで長きにわたって国交がなかったのか——。    

>その最も大きな要因が、1937年から始まった、日本が中国を侵略した日中戦争でした。    

>日中戦争の原因、状況、日本軍が行ったことを知ると、今の日中の軋轢が理解できるはずです。    

>日本の歴史の教科書や参考書、入試などでは、今は「日中戦争」で統一されているようですが、「日華事変」「支那事変」など、世代や捉え方によって様々な名称が使われてきました。    

>日中戦争は途中から、アメリカをはじめとする連合国を巻き込み、太平洋戦争に発展していくわけですが、日本人が“先の大戦”と口にするとき、その多くが1941年に日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃して開戦した戦争を指しています。   

>つまり、日中戦争はそれに含まれていないという認識の日本人が多いのです。    

>ずっと“事変”と称していたことからもわかるように、宣戦布告なしに始まった日中戦争は、戦争と捉えられていなかったわけです。    

>中国での武力衝突は軍部の独走だといわれていました。    

>一方中国では、この戦争の名称は明確です。    

>「抗日戦争」とされています。    

>つまり、日本に対抗した戦争です。    

>こういったあたりから、日中戦争に対して、すでに日中間で認識が違っていることがわかります。    

>その日中戦争に至った発端は、1931年に起きた満州事変でした。    

>当時、日本は世界恐慌の影響で、不況が深刻化していました。    

>そこで軍部が独断で満州の植民地化をはかり、奉天(ほうてん、現・瀋陽)の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で鉄道を破壊。    

>日本軍は中国軍のせいだと因縁をつけて強引に軍を進駐させ、満州を支配しました。    

>日本政府が止めても言うことを聞かなかったので、このあたりまでは確かに軍部の独走という側面もあったようです。    

>その後も侵略行為を続ける日本軍に対し国際的な批判も高まる中、1937年に北京郊外の川に架かる橋、盧溝橋(ろこうきょう)で日中の両軍が衝突します(盧溝橋事件)。    

>これはいずれかの発砲による偶発的な衝突がきっかけとされていますが(誰が発砲したかの定説はない)、日本は全面的な戦闘に突入する口実としており、事実上の日中戦争のはじまりとなりました。    

>当時内戦中だった毛沢東の中国共産党と蒋介石の国民政府は休戦、抗日民族統一戦線を結成して日本軍を迎え打ちました。    

>当初は戦争に消極的だった近衛文麿(このえふみまろ)政権も、いよいよ戦争態勢に入りました。    

>南京事件と重慶爆撃の凄惨な実態    

>盧溝橋事件と同じ年の12月、日本軍は南京にいた中国兵、捕虜、市民、便衣兵(民間人を装った兵士)を大量に殺害しました。    

>中国側は30万人の大虐殺が行われたと主張しています。    

>これが南京事件や南京大虐殺といわれるものです。    

>日本はもっと少なく死者数を見積もっているものの、正確な数字は誰にもわかりません。    

>当時の中国は戸籍が不十分で正確な死亡者数は不明のままなのです。    

>南京の人口を考えると、死者30万人は多く見積り過ぎていると言わざるを得ません。    

>ただし、南京に到達するまでの街や村でも、日本軍は虐殺、強奪、強姦などを行ったとされています。    

>さらに1939〜1943年頃にかけて、日本軍は重慶市において無差別爆撃も行っています。    

>これは1937年のドイツ軍のゲルニカ爆撃と共に、「戦略爆撃」のはじまりといわれており、敵の戦う意欲を低減させるために、軍事目標だけでなく市街地も無差別に爆撃するものでした。    

>このときの犠牲者は、中国側の資料によると2万8000人にも及んだとされています。    

>これらの日本の横暴は、国際的な承認は得られません。    

>中国を支援していたアメリカやイギリスと日本との対立も深まり、ますます戦争は泥沼化します。    

>1940年、日本軍が石油資源の獲得を狙い東南アジア方面へ南進の姿勢を見せると、アメリカは日本を強く警戒するようになりました。    

>さらに日独伊三国同盟の締結によって、中国とその背後にいるアメリカへも圧力をかけたことなどもあり、日米の戦争を回避するために行われていた、日米交渉も行き詰まります。    

>そうして1941年12月8日、東條英機内閣は真珠湾攻撃を実行。    

>日米の戦争へと展開します。    

>日本軍による中国への侵略に始まった日中戦争からここまで、一連の流れの中にあったのです。    

>1945年、太平洋戦争での日本の敗北を受け、日中戦争の戦闘行為も終わりました。    

>日本の無条件降伏を勧告したポツダム宣言には中国政府も署名しているので、日本は中国にも敗北したこととなりますが、日本の中ではその視点があまりないようです。    

>1972年の日中国交正常化の際、周恩来が戦争賠償権を放棄した、その“戦争”とはこの日中戦争のことです。    

>その後も尖閣諸島の海域で起きている中国と日本の衝突や靖国神社参拝問題も、この日中戦争に端を発しています。    

>田中角栄と周恩来のすれ違い   

>日中国交正常化の際、日中戦争で日本が中国を侵略したことに関する意思表明で、田中角栄と周恩来の間では行き違いがありました。   

>日中通訳で細かいニュアンスが伝わらなかったのです。    

>「わが国が中国国民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」    

>晩餐会の席で、田中はこう述べて周恩来に謝罪しました。    

>このとき通訳は「ご迷惑をかけた」を周恩来に「添了麻煩(ティエンラ・マーファン)」という表現で伝えました。    

>この言葉に、周は激怒しています。    

>「添了麻煩」は謝罪ではありますが、それは女性のスカートに水をかけてしまったようなときに使う言葉。    

>心を込めた重い謝罪ではなく、軽く「ごめんなさい」といったニュアンスの表現です。    

>そのことに周恩来は感情をあらわにしました。    

>その後「迷惑事件」として語り継がれています。   

 

通訳の不注意により田中首相には思わぬ迷惑が掛かりましたね。通訳の責任はどうなるのでしょうかね。周恩来は通訳の間違いを知らなかったのですかね。彼は日本に留学していましたね。         

 

>私たちの国の人間を数百万人も殺した国の総理大臣が使うときにふさわしい言葉ではない——というのが周の論理です。    

>中国をなめているのか! という怒りです。    

 

それは中国人のルサンチマンですね。 [ルサンチマン: 被支配者あるいは弱者が、支配者や強者に対してため込んでいる憎悪や妬み]    

 

>周恩来の怒りの理由はもっともなので、田中は日本では“ご迷惑をかけた”という表現は心を込めて謝罪するときに使いますと説明して、ひたすら取り繕ったといいます。    

>とはいえ、田中も一国の総理。    

>したたかです。    

>日中戦争についての謝罪は、迷惑という言葉を使ったものの、口頭であって文書で残してはいません。    

>激怒した周恩来が、それでも国交正常化を急いだワケ    

>それでも、中国は日本との国交正常化を受け入れました。    

>そうせざるを得なかったからです。    

>当時の中国は文革によって弱体化していました。    

>隣接するソ連との関係は悪化したままで、いつ攻めてこられても不思議ではない状況。    

>そんな中国に対し、アメリカはもちろんのこと、日本も高度経済成長期を経て、すさまじい経済成長を遂げていました。    

>中国はアメリカや日本のような西側の強国と手を結ばなくてはなりませんでした。    

>中国にとっては日本からの経済援助ありきでの国交正常化です。    

>それを日本は十分に承知していたので、求められるままにお金を渡しました。    

>1979年以降のODAは明らかに中国の経済成長の礎になっています。    

>そのときはお互いに納得していても、時を経るにつれて、自国のほうが我慢して相手の要求を受け入れたというモヤモヤが積み重なっていきます。    

>それは、やがて限界に達します。    

>ただし、日中国交正常化の場合、日本側の当事者である田中と大平は、中国に対して、申し訳ないという気持ちを持ち続けていました。    

>後に田中は、「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。    

>戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」と話していました。    

>しかし、国内で田中とライバル関係にあった、後に総理になる福田赳夫(たけお)をはじめとする清和会系の政治家は違います。    

>清和会系の政治家は、台湾と親しかったこともあり、中国共産党に対する強硬姿勢が目立ちます。    

>このような不満はやがて中国側で爆発しました。    

>1998年11月に江沢民が訪日した際、宮中晩餐会のスピーチで歴史認識について厳しく批判し、日本側に強い衝撃を与えたのです。    

>言葉のすれ違いから始まったわだかまりは、半世紀経った今もなお、日中間に深く棘として刺さったままなのかもしれません。    

 

言葉は大切ですね。注意して使う必要がありますね。民族のルサンチマンにも注意を払う必要がありますね。      

 

>この書籍の執筆者:武田一顕 プロフィール    

>1966年生まれ。    

>東京都出身。    

>早稲田大学第一文学部卒業。    

>元TBS報道局記者。    

>国会担当記者時代の“国会王子”という異名で知られる。    

>また、『サンデージャポン』の政治コーナーにも長く出演し親しまれた。    

>2023年6月退社後、フリーランスのジャーナリストに転身して活動中。    

>大学在学中には香港中文大学に留学経験があり、TBS在職中も特派員として3年半北京に赴任していた経験を持つ。    

>その後も年に数回は中国に渡り取材を行っている「中国通」でもある。   

>著書に『日本人が知っておくべき中国のこと』(辰巳出版)など。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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