安斎耕一氏 |
>朝日新聞 >若者が選挙に行かない理由は? 山形大生と山形市議が意見交換 >朝日新聞社によるストーリー・ >15時間・ > 若い人たちが選挙に行かないのは、なぜなのか。 >どうしたら解決できるか、一緒に考えてほしい――。 >山形市議会の広報広聴委員会が1月27日、大学生と投票率向上を考える意見交換会を開いた。
未来社会の建設にかかわる青写真が必要ですね。 この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。無哲学・能天気の禍ですね。
> 昨夏の参院選で、山形県の投票率は全国トップの62.55%だった。県の抽出調査によると、年代別で最も高かったのは60代後半(77.29%)で、この前後の年代が高い投票率を引っ張っている。
年寄りは義理堅いですからね。義理とは序列関係から生じる個人的な義務のことです。
> 一方、20代後半~30代前半は50%台、18、19歳と20代前半は40%台と低調だ。
若者には未来が必要である。未来社会の建設の関する夢と希望を語る政治家がこの国にはいない。
> 市議らは、若い世代の声を直接聞いてみようと、協力を依頼。 >山形大人文社会科学部の憲法学のゼミで学ぶ3、4年生約25人が応じた。 >衆院選が決まる前からの企画だったが、くしくも公示日の開催になった。 > 「投票に行くのが面倒くさい」
政治家の選出には夢と希望がない。投票には意味がない。
>「政治の知識がない」
日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人には信頼がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
>「自分の生活と選挙とのつながりを感じづらい」
そうですね。日本人には世界観がない。どのような未来社会の出現を期待したいかを語る者もいなければ、尋ねる者もいない。
>「どこに投票したらいいかわからない」
夢と希望のない政治家に一票を投ずるのは難しい。
>「選挙はおもしろくなさそう」……。
夢と希望のない若者を見るのは残酷である。
>市議1人と学生3人がグループになり、選挙への関心が低い理由を書き出した。 > これに対して市議らは、質問を重ねて理解を深め、解決のアイデアを求めた。 > 「行くのが面倒」への解決策としては、「車で移動する人が、ドライブスルーで投票できるようにしては」「オンライン投票の導入」「学校に投票所を置く」などの案が出た。
希望さえあれば、人は険しい山の上でも登る。希望がなければドライブスルーもしたくない。
> 「どこに投票したらいいかわからない」「おもしろくなさそう」への対処には、「若者や子育て世代に向けた公約を明確に示してはどうか」「公約の形式を統一して伝わりやすいように工夫を」などの声があった。
政治には未来の先取りが必要ですね。政治家は自分の未来を大声で叫ぶと良い。選挙は人気投票であることが必要である。
>「短い解説動画などを流すと興味を持つきっかけになる」と、SNSの活用を提案した学生もいた。
この国には ‘あるべき姿’ を語る者がいない。無哲学・能天気の状態ではどうにもなりませんね。
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
> 市議会広報広聴委員長の小田賢嗣市議は「『投票に行く義務とメリットをてんびんにかける』など、聞かないとわからない意見に考えさせられた。
若者に夢と希望は絶対に必要ですね。その日暮らしの連続ではたまらない。
>若者が選挙に参加しやすい仕組み作りに生かしていきたい」と話した。(安斎耕一)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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