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2026年02月09日(月) 

 

>Merkmal   >「人口減なのになぜ建てる?」巨大化を続けるターミナル駅、同質化する再開発の果てに待つ「共倒れ」の懸念   >西サトル (フリーライター) の意見・   >6時間・   

>再開発が進む主要ターミナル駅    

> 池袋、新宿、渋谷、品川、東京。    

>さらに名古屋や大阪といった中枢都市でも、主要ターミナル駅の再開発が同時多発的に進んでいる。    

>駅舎の建て替えや駅ナカの拡張にとどまらず、オフィス、商業施設、ホテル、住宅を組み合わせた大規模な複合開発が各地で立ち上がっている。    

> 再開発計画のないターミナル駅を探す方が難しい状況になりつつある。    

>これほど積極的な資本投下が続く背景には、人口が減る時代だからこそ、確実な人流が存在する拠点に投資を集中させ、収益力を維持しようとする各社の経営戦略がある。    

 

そうですね。   

 

> しかし、この動きは直感的には不可解でもある。    

>日本はすでに人口減少局面に入り、少子化の進行によって将来的な利用者増は見込みにくい。    

 

人口減少は地方のことではありませんか。   

 

>相互直通運転の拡大によりターミナル駅での滞留需要は減少し、リモートワークの定着は通勤需要そのものを揺さぶっている。    

> こうした環境変化を考えれば、各社が駅や駅周辺への投資に慎重になるのが自然に思える。    

>それにもかかわらず、日本では駅自体を大規模に更新するような再開発が各地で続いている。    

>なぜ駅が移動の場にとどまらず、それ自体が目的地となる複合的な場所へと発展してきたのだろうか。    

>その理由は、日本のターミナル駅が辿ってきた独自の歴史にある。    

>街をつくった駅    

> 日本の駅で複合機能化がここまで進んだ背景を理解するには、都市の発展と公共交通の整備が、必ずしも同じ速度で進まなかった歴史を押さえる必要がある。    

> 明治以降、日本の主要都市は急速に膨張した。    

>東京市の人口は明治初期には100万人に満たなかったが、大正末期には400万人を超え、昭和初期には600万人規模に達している。    

>大阪や名古屋でも同様に、短期間で人口が数倍に増えていった。    

>居住地は郊外へ広がり、通勤・通学という新しい移動需要が一気に見えてきた。    

> 一方で、公共交通の整備は常にこの成長スピードの後追いだった。    

>明治政府の鉄道政策は東京と地方を結ぶ幹線整備を優先し、都市内部や近郊輸送は後回しにされた。    

>1906(明治39)年の鉄道国有法が対象としたのも長距離幹線が中心である。当時の国家財政は軍事費や債務返済の比重が大きく、都市交通まで一体的に担う余力はなかった。    

> こうして都市の拡張と輸送網の間に生じた隙間に入ったのが、民間私鉄だった。    

>私鉄各社は都市近郊へ路線を延ばして都市生活を支えたが、運賃を自由に設定できない制約があり、鉄道事業のみで収益を安定させることは難しかった。   

> そのため各社は、鉄道の敷設によって上がった沿線の土地価値を、自らの不動産開発や商業活動を通じて回収し、事業全体の採算を合わせる仕組みを作り上げた。    

>鉄道を軸に住宅や娯楽を一体的に提供し、自ら需要を生み出す手法が、日本の都市開発の原型となったのである。    

 

そうですね。   

 

>私鉄が辿った別の道   

> そこで一部の私鉄は、輸送と商業、不動産を一体で捉える発想に踏み込んだ。    

>その象徴が阪急である。    

>阪急は鉄道で人を運び、ターミナルで消費を生む構造にいち早く着目し、1929(昭和4)年に世界でも例のない「ターミナルデパート」を開業した。    

>駅を商業の中心に据えるこのモデルは東京や福岡など全国へと広がっていき、「不動産と商業を内包する鉄道会社ほど発展する」という方程式が日本では形成された。    

>駅は移動の終着点にとどまらず、都市機能が高度に集まる拠点へと変わっていった。    

> 鉄道で運んできた利用者を、駅に併設した自社の商業施設へ直接誘導するこの仕組みは、運賃以外の収益を拡大させるだけでなく、移動そのものに付加価値を与える効果も生んだ。    

>この流れは戦後も続き、さらに加速した。    

> 国鉄民営化後、JR東日本やJR西日本は不動産・商業分野への注力を強め、主要ターミナル駅の再開発を通じて収益構造の多角化を進めていった。    

>人口減少や通勤形態の変化という逆風のなかでも、駅が都市活動の基盤であるという構造は維持され、ターミナル駅の機能はむしろ一層強まっていった。    

 

鉄道会社が都市活動の構造を維持する事ができるようになりましたね。   

 

> 膨大な人流を収益へ結びつける拠点を持っていること自体が、各社の経営基盤を支える大きな力になっているのだ。    

>海外の駅は「通り過ぎる場」    

> 対して、海外の都市では駅はどのような位置づけにあるのだろうか。    

>欧米やアジアの多くの都市では、駅は移動のための施設として扱われてきた。    

> 広いコンコースと効率的な動線を備えた駅舎は都市への出入口として機能しており、その構造は空港ターミナルに近い。    

>商業施設が併設される例もあるが、その多くは待ち時間に対応する飲食や物販に限定されている。    

>日本のように駅の建物自体が複合的な都市機能を担うケースは多くない。    

 

日本の空港にも都市機能はないですね。   

 

> この違いを理解するうえで重要なのは、とくに欧州では駅が「すでにある街に付け加えられた存在」だったのに対し、日本の多くの駅は「街ができる前に先に置かれた存在」だった点である。    

>欧州では、駅ができる以前から旧市街や広場、商店街、官庁街といった都市の核が形成されていた。    

 

欧州では最初から都市計画というものがあったのですね。   

 

>駅はそれらに接続するインフラとして加わり、駅を出ればすぐに街が始まる構造が成立していた。    

>だから駅のなかや上にまで都市機能を詰め込む必要はなかった。    

> 海外の主要駅は交通網を繋ぐ結節点としての役割を追求しており、駅の外にある既存の市街地へ人々を円滑に送り出すことが優先されている。    

>移動の場と生活の場が明確に分けられているため、駅は目的地へ向かう途中の通過点として機能している。    

 

都市機能のある国は日本とは違いますね。   

 

>米国やアジアの駅の姿    

> 米国では、自動車と高速道路網の発達により都市鉄道や旅客分野が十分に育たず、都市機能は早期に分散した。    

>オフィスや商業施設は駅前ではなく車でアクセスしやすい場所に配置され、駅は目的地ではなく通過点になっていった。    

> 中国や東南アジアにも植民地期から続く歴史あるターミナル駅があるが、近年の巨大駅や高速鉄道は、それとは役割を分ける形で国家主導により整備されてきた。    

>ターミナルは都市中心から距離を取り、中心街とはメトロ網で結ばれる。    

>近郊列車も発着するが、駅は日常的な都市活動を引き受ける場ではなく、乗り換えと長距離移動に特化した交通拠点として機能している。    

> これに対して日本では、新宿、池袋、渋谷、品川といった主要ターミナル駅の多くが、もともと都市の中心ではなかった。    

 

そうですね。わが国では都市の中心は考えられませんでしたね。わが国の都市は大陸という大海に浮かぶ都市国家ではなかった。海岸が城郭の役割を果たしていた。      

 

>新宿駅の隣には浄水場があり、品川周辺は海や倉庫が広がっていた。    

>駅が先に置かれ、街は後から形成されたため、駅周辺には人の流れに応じた賑わいが生まれたものの、駅前に計画的な都市機能は育ちにくかった。    

 

そうですね。計画的な都市機能の育成は自治体の長の力量によりますね。   

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり (上杉鷹山)   

 

>戦後は闇市などによって無秩序な空間になりやすかった。    

 

そうですね。日本に都市は無秩序な空間ですね。   

 

> こうしたなかで鉄道会社は、集まりつつあった人の流れを自ら管理できる改札内や駅ビル、駅上空間へと引き込んだ。    

 

都市は無秩序でも駅ビルの中は鉄道会社が責任をもって管理できますね。   

 

>百貨店や飲食、オフィスといった機能を重ねることで、既存の人流を安定した収益と都市活動へと組み替えていった。    

 

鉄道会社は、駅ビルの中で都市機能を提供できますね。   

 

> 一方、欧米やアジアの多くの都市では、商業や業務、生活の中心は駅の外にすでに存在しており、駅は人を送り届ける交通の結節点として機能すれば十分だった。    

>駅に都市機能を重ねる必要がなかったという点で、日本とは前提が異なっていた。    

 

そうですね。駅の有無にかかわらず都市の機能というものを考える自治体の指導者が我が国にはいなかったということですね。   

 

>その違いが、今日の駅の姿を大きく分けているのだ。    

>つき詰めるほど、薄れていくもの    

> 日本のターミナル駅開発は、私鉄やJR各社にとって、都市の成長とともに歩んできた発展のルーツであり、今なお収益と存在意義を支える生命線でもある。    

> しかし、百貨店を核としてきた従来のビジネスモデルが転機を迎えるなか、各社は新しい駅のあり方を模索し始めている。    

 

そうですね。百貨店よりも自動車で行けるモールですね。   

 

>これまでは物品の販売が収益の柱であったが、現在はコワーキングスペース、医療、教育といった生活を支えるサービスを複合的に提供し、利用者の滞在時間を増やすことで収益を得る形態へと変わっている。    

> 一方で、大規模な再開発が各地で同時に進んでいる現在、都市再編そのものが過密化し、他駅との差別化は難しくなりつつある。    

 

駅の本質的な機能はどこの地方でも同じはずですね。   

 

>かつては合理性を突き詰める過程で、鉄道会社ごとの判断が駅の個性となり、街の顔を作ってきた。    

 

街の顔の個性の無さは市長の責任に関係がありますね。   

 

>ただ、商業施設やオフィスビルが飽和状態にある今、過去の成功体験の延長線上で独自の魅力を打ち出すことは難しい。    

 

そうですね。   

 

> 利便性を優先して均一な開発を進めれば、結果としてどの駅も似通った風景になり、その土地が持つ歴史や文化は薄れていく。    

 

駅には統一が必要ですね。その土地が持つ歴史や文化の保存は市長の責任ですね。      

 

>人々の記憶に残る駅舎や街並みが姿を消すとき、利便性の向上とは別の側面で感情的な喪失が生じる。    

 

街並みの景観は自治体の長に責任がありますね。   

 

>それが中長期的には、沿線全体の価値を低下させる要素にもなり得る。   

> 日本の駅は、合理性を追求することで街の機能を駅の内部に集約してきた。    

 

駅の合理性は資本主義の合理性ですね。街の機能は自治体の長の責任でしょうね。   

 

>いま問われているのは、その高い完成度を前提としながら、新しく作り替えるだけでなく、地域の資産として何を残し、どのように未来へ繋ぐかという、次の時代にふさわしい更新の姿を描けるかどうかだろう。    

>駅の未来   

> 日本のターミナル駅が遂げてきた進化は、限られた土地と厳しい経営環境のなかで、移動と生活を密接に結びつけてきた知恵の積み重ねである。    

 

そうですね。ターミナル駅は軍艦島の様なものですね。   

 

>しかし、現在進行中の大規模な更新が、全国一律の利便性を提供するだけで終わってしまえば、駅は利便性以外の価値を失うことにもなりかねない。    

 

駅には利便性が必要ですね。   

 

> これからの駅に求められるのは、効率的な空間の提供を超えて、その土地に暮らす人々が誇りを持てるような独自の個性を持つことだ。    

 

その土地の個性は自治体の長の責任でしょうね。   

 

>鉄道各社の経営においては、大規模な建物を建てることだけでなく、その場所を訪れる理由そのものを作り出す力が問われている。    

 

建物の規模についても自治体の長に責任があるのでしょうね。   

 

> 人々の生活に深く入り込み、時代が変わっても選ばれ続ける場所であり続けるために、駅が果たすべき役割を改めて考える時期に来ているのだ。    

 

日本の都市が冴えないのは、日本人が計画都市に馴染みがないからでしょうね。駅にその役割を期待するのは、あまりにも成功体験に囚われすぎているからではなかろうか。      

 

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数30 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/02/09 18:35
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