牛弾琴 |
>Record China >高市首相の靖国神社参拝、「望ましい『環境』は永遠に整わず」と中国国営メディアSNS >Record Chinaによるストーリー・ >10時間・ >高市早苗首相が衆院選直後に言及した自身の靖国神社参拝を中国国営新華社通信傘下のSNS「牛弾琴」が取り上げた。 >高市首相は「その環境を整えるために努力」と話したが、「牛弾琴」は「望ましい『環境』は永遠に整わず」と指摘。
そうですね。
>「日本の進む道は『歴史を直視するか、忘却するか』によって左右される」と主張した。 >高市首相は8日夜のフジテレビ番組で、スタジオコメンテーターの橋下徹氏から靖国神社参拝について問われると、「その環境を整えるために努力しています」と回答。 >2013年に当時の安倍晋三首相が参拝した際に米側が「失望」を表明した例に触れ、「まず同盟国には理解を得る。
首相の参拝は国際社会から失望されますね。 日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから現実肯定主義者にならざるをえない。現実を前にして考えの方を拒否する。だから議論にならない。これが日本人の改革を妨げている。
>そして周辺諸国にも理解を得る。 >お互いにその国のために亡くなった方々に敬意を捧げあえる、そういう環境をつくるのが私の目標です」と応じた。
‘良いと悪い’ の分別がなくては、過ちは避けられませんね。何度でも過ちを繰り返す。日本人の場合は反省が反省にならない。 戦死者の追悼を国が宗教家に丸投げする態度は良くない。政治と宗教の完全な分離が必要です。
>高市氏はこれまで、閣僚在任中も終戦の日や春と秋の例大祭期間中に参拝してきた。 >昨年10月の秋季例大祭には自民党総裁として私費で玉串料を奉納したものの参拝は見送り、有村治子総務会長が代理で参拝した。
首相の参拝には後ろめたいものがあるのでしょうね。
>「牛弾琴」は高市首相の靖国参拝について、⓵参拝の実現を念頭に置き続けている
そうですね。日本人は現実肯定主義者ですからね。
>②周辺諸国が強く反対することを承知の上で、参拝の「環境を整える」という言葉で正当化しようと努めている
日本人は議論ができない。これが改革運動の妨げになっている。
>③短期的にはその影響を観察し、参拝の重大な結果を慎重に判断しているかのように見えるが、長期的な実現の可能性は高まっている―と言及。
‘お変わりの無いことが良いことです’ ということか。進歩の国民にはなれませんね。
>「場合によっては、危険を冒してまで参拝を試みる可能性も否定できない」と警戒感をあらわにした。
日本人には意思がない。意思決定 (理性判断) の必要なところで、恣意決定 (盲目の判断) に走るか。歴史は繰り返すか。
>その一方で「靖国参拝に関する高市氏の発言は過度に楽観的であり、単なる妄想と言わざるを得ない」と批判。
そうですね。高市氏には先が見えていない。
>「平和の土台は虚構ではなく歴史に対する誠実な態度によって築かれる。 >中国、韓国、朝鮮のいずれも日本の指導者による靖国参拝を受け入れることは絶対にあり得ない。
日本はもう一度世界を相手に戦争をするのか。
>歴史を反省する行為は理解され得るが、それが参拝という形で表れることは決して許されない」と述べ、「さらに忘れてはならないのは、靖国神社には他国の民衆の血で手を汚した14人の日本のA級戦犯が祭られていることだ」とした。
そうですね。日本人はあくまでも無哲学・能天気ですね。
>「牛弾琴」は今後の展開として二つのシナリオが考えられると説明し、「内閣支持率のさらなる上昇を狙い、選挙での圧勝を背景に靖国神社を参拝し、日本国内におけるポピュリズムをさらにあおることだ」と「厳しい局面に直面した際に、靖国参拝で議論の焦点をそらし、自身の政治的立場を強化することだ」を例示。 >「結論として高市氏が在任中に靖国参拝に踏み切る可能性を否定できない」と結んだ。
そうですね。高市氏は他の解決法を思いつかないようですね。
>韓国への影響は >高市首相が靖国参拝した場合、その影響は韓国にも及ぶ。 >李在明(イ・ジェミョン)大統領は年頭の記者会見で「反日を唱えれば国内の支持は集まるかもしれないが、韓国の国益には合致しない」として、現実路線を強調した。
彼は日本人の無哲学・能天気に目をつむるのか。
>1985年10月、首相として初めて靖国を公式参拝した中曾根康弘氏は親交があった中国の胡耀邦共産党総書記が国内で批判にさらされていることを知り、その後、参拝を取りやめた。
中曽根は良くないことがわかっていたのですかね。
>高市首相が靖国参拝すれば、韓国の世論が敏感に反応し、個人的な信頼関係を築きつつある李大統領を窮地に追い込みかねない。 >高市首相の「環境」が具体的に何を指すのかは不明だが、最終的は諸般の事情を考慮して慎重に判断するとみられる。
日本人は無哲学・能天気ですから、高市首相も日和見主義で行くのでしょうね。
>(編集/日向)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りを練習するばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育をする。子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあるので、英米人は独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を文にして表現することができる。 未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。思春期には罪の告白も可能になる。 深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。罪の意識が原動力になり、事故の原因究明がうやむやにはならない。
中部電力が、浜岡原発のデータを不正に操作した問題を受け、福島の原発事故の原告団が、声明を出しました。生業訴訟・中島孝原告団長「一連の流れは福島第一原発事故の教訓を学んでいない、あるいは学ぼうとする姿勢もないことからきていると感じた」 日本人には罪の意識がない。それで日本人は重大な過失を犯しても真面目人間になれない。日本人は軽薄であり続ける。
罪の意識が高じて魂の救済を必要とする人も出て来る。だから、贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。 こうしたことで英米の高等教育は浅薄な人間を思慮深い人間に変える。天真爛漫な子供の顔の人間が、悪びれた大人の顔になる。 原因追及の成果が受け入れられて、どこの国でも高等教育に力を入れることになる。
日本語は現実の内容だけを話す写生画のような言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。日本人は未来の世界 (非現実) の内容に確信を持つことができない。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習を開始すると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
序列社会に住む日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地がない。 難関出身者が序列社会において、いかに優位に立つかの話ばかり気を取られている。それで国のかじ取りが危ういものになっている。
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