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2026年02月26日(木) 

 

>朝日新聞   >体験なき原爆をどう受け継ぐ投下から80年、京都の取り組み   >朝日新聞社によるストーリー・   >3日・   

> 広島と長崎に原子爆弾が投下されてから80年が過ぎた。    

>被爆から時を経た今、爆心地から遠く離れて生きる私たちは、被爆の記憶と記録をどう受け止め、語り継いでいけばよいのだろうか。(八百板一平)    

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、現実を直視しても ‘あるべき姿’ の内容が脳裏に浮かばない。      

 

>鈴木裕貴著「落とされなかった原爆――投下候補地の戦後史」    

> 広島と長崎に落とされた原子爆弾。    

>その投下候補地になった4都市での史実継承の歩みをたどった「落とされなかった原爆――投下候補地の戦後史」(中公選書)が昨秋、出版された。    

>著者で、立命館大学衣笠総合研究機構研究員の鈴木裕貴さん(32)は「足元の歴史を掘り下げて、戦争や原爆を知ろうとすることが重要だ」と指摘する。    

> 戦争や被爆の体験を持たない人が、自分のこととして、戦争や原爆を考えるには、何を手がかりにすればいいのか――。    

 

原爆投下の映像や被爆者の体験談が手掛かりになりますね。  

 

>この本は、そんな問いかけから始まった。    

> 1945年の8月6日に広島に、8月9日に長崎に投下された原爆。    

>鈴木さんは、米国が投下の候補地に選び、最終的には被爆を免れた、小倉(現在の北九州市)、新潟、横浜、京都の人々が、原爆をめぐる史実をどのように受け止め、語り伝えてきたかを調査した。    

> 見えてきたのは、直接の被爆体験を持たない人々が、原爆投下についての「当事者意識」を獲得していくプロセスだ。    

 

日本人には意思がないから当事者意識を獲得すことは難しいでしょうね。   

意思のある所に方法がある。 Where there’s a will, there’s a way. 

求めよ、さらばああえられん。 Ask, and it shall be given to you.    

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり (上杉鷹山)       

 

> 小倉では、原爆を積んだB29が上空を旋回した、という事実がその土台になった。    

>新潟では、原爆を避けるために県知事が住民に疎開を命じた(「原爆疎開」)という経験の上に、文学作品や自治体史の編纂(へんさん)が続いた。    

> 米軍の空襲を記録する取り組みからアプローチしたのが、横浜と京都だ。    

>横浜では、横浜大空襲(1945年5月29日)の惨状を記録する活動が、原爆投下に関する米国側の資料の発掘につながった。    

>京都では、多くの文化財を抱える古都であったために空襲や原爆を免れた、とする「神話」や「伝説」を覆す動きが、空襲被害の実態の解明とともに、進んだ。    

 

我が国は地球上に存在して、しかも世界に属していない。   

 

> 鈴木さんは、それぞれの都市の人々が「足元の歴史、郷土史を手がかりに、原爆や被爆の問題への当事者意識を強めていった」と指摘する。    

> 執筆中は、原爆をめぐる記録や記憶と向きあい、その継承に取り組んだ人々の存在を意識したという。    

> 徹底した聞き書き調査をもとに、戦争の実相を書いた記録作家・林えいだい。    

>「火垂るの墓」などの作品で知られ、新潟の「原爆疎開」を題材に短編小説を書いた作家・野坂昭如。    

>原爆に関する米国側の資料を発掘し、「資料 マンハッタン計画」などを編んだ横浜市立大学名誉教授の山極晃。    

>そして、文化財の保護などの理由で京都が戦災を免れたという「神話」を打破しようと格闘した、同志社大学名誉教授のオーティス・ケーリと歴史学者の吉田守男……。    

>本書は、これらの人々の仕事と各地の被爆者の取り組みを追う。    

> 鈴木さんは「四つの都市の戦後史には、やがて来る、戦争体験者がいない時代を生きる私たちのためのヒントがある。    

>地域の歴史を見つめ直すことから原爆や戦争を考える道を探したい。    

 

戸締りを厳重にしないと泥棒に入られますね。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)   

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。      

わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を示しながら相手国の冒険主義を抑えて、国家の最善を目指さなくてはならない。  

 

>この本をきっかけに、それぞれの地域の体験者の証言に耳を傾け、手記などを読んで、考えてほしい」と話す。    

 

‘それでどうした’、’それがどうした’ の問いに対する答えが必要ですね。   

 

> 四六判280ページ。2200円(税込み)。全国の書店などで販売中。(八百板一平)    

>■母のおなかの中で被爆「私は一番若い被爆者」    

> 「私は一番若い被爆者。    

>核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、いろいろな人と手を組んで、輪を広げていかなければ」    

> そう話すのは、京都府大山崎町に住む胎内被爆者の林昌也さん(80)。    

> 軍に召集されていた父は、広島で被爆した。    

>母親も入市被爆した。    

>母のおなかの中にいた林さんは、原爆投下の翌年の1月に、岡山県高梁市で生まれた。    

>「ピカドン」と呼ばれた原爆の閃光(せんこう)も、轟音(ごうおん)も、知らない。    

>「原爆のことは、おやじもおふくろもほとんどしゃべらなかった」という。    

> 自身が被爆者だと知ったのは、京都府職員として働き盛りだった35歳のとき。    

>母から、被爆者健康手帳の取得を勧められたという。    

> 2024年、78歳のときに、京都府内の被爆者らでつくる「京都府原爆被災者の会」(京友会)の会長を引き受けた。    

>京友会は同年にノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に加盟する組織だ。    

> 1982年に約1600人だった京友会の会員は、2024年には186人になった。    

>体調がすぐれないなどの理由で、参加者が減り、総会や役員会の開催が難しくなるなど、組織の高齢化を肌で感じている。    

> 「このままでは、会の存続も危うい」と考え、会長に就いてから、被爆2世や3世、支援者に入会を促している。    

>呼びかけに応じて、会に加わる人もでてきた。    

>「継承のためには、言葉だけではだめだ」とも考え、被爆の記憶を伝える歌をつくるように、日本被団協に提案した。    

>京都府内の被爆者の被爆体験を収めた本の復刊作業も進めている。   

> 「私には、被爆のそのときの記憶がない。    

>それでも、被爆の惨状を伝え、核兵器の廃絶を訴えていくのが務め。    

>『核兵器のない世界』という理想を掲げ、被爆の記憶を次の世代につなげるために、力を尽くしたい」    

>(八百板一平)    

 

核大国の指導者は被爆の惨状をよく知っていますね。だからこそ各国とも核兵器を自国に積み上げる並々ならぬ努力している。原爆投下により戦争好きな日本人もついに平和を望んだ。この事実が何よりも彼らの自信となっている。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数22 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/02/26 02:59
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