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旧東海道を三条大橋から歩くの「旧中山道ウォーク25日目(垂井、関ヶ原、今須、柏原、醒井)」
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旧中山道ウォーク25日目(垂井、関ヶ原、今須、柏原、醒井)
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2012年05月13日 22:32
旧中山道ウォーク25日目、26日目(垂井宿、関ヶ原宿、今須宿、柏原宿、醒井宿)



JR垂井駅から始める。駅から北へ相川まで行く。天気は小雨であるが、4月14日で例年より少し遅いが河原の桜が満開である。ここから中山道になり垂井宿を西へ進む。二階が連子格子で今も営業している旅籠の亀丸屋、山車の倉庫、本陣跡の石碑、宿場中ほどにある南宮大社の大鳥居、中山道は直進だが、ここを南へ行くとすぐにここの地名の起こりとされる「垂井の泉」が湧いている。宿場を西へ進むと西の見附跡、国道21号を渡ると垂井の一里塚がある。







再び国道を渡ると野上の七つ井戸、松並木、徳川家康最初陣地を通り国道21号を進むとJR関ヶ原駅、脇本陣跡、西首塚がある。この先で左へ旧道に入る。不破関跡、藤古川、矢尻の池を通ると右手に若宮八幡宮があり、階段を上りJR踏切渡り、神社の裏山に大谷吉継の陣跡と墓がある。街道へ戻り西に進むと常磐御前の墓がある。ここからはJR線に沿って登りとなり、今須峠を越え下って国道21号を渡ると一里塚跡があり、この先から今須宿となる。







今須宿には、本陣、脇本陣跡、妙応寺、問屋場、常夜灯がある。なおも西へ進むと国道へ出る手前で「車返しの坂」がある。ここは、室町時代に都の貴族が不破関へ行くと知って地元民が不破関をきれいに修理した。貴族は寂れた不破関を歌に詠みたかったことから、これで行く甲斐がないと牛車を引き返した言う話が、その由来となった。







国道を越える桜並木を行くと細い水路があり、ここが美濃の国と近江の国の境となる長久寺集落である。「寝物語(ねものがたり)の里」として水路を挟んで旅籠があり寝ながらにして他国の人と話ができたことからこう呼ばれている。西に進み神明神社の鳥居、JR踏切を越えると柏原宿に入る。







柏原宿は、東見附跡、八幡神社、背後に伊吹山があるJR柏原駅、問屋場跡、本陣跡、高札場跡、背後に伊吹山が美しい。そしてここで有名なのが、もぐさを商う伊吹堂亀屋である。広重の時代からあるという巨大な福助人形である。この福助は、元はここの番頭で商売繁盛したことから全国に広まったという。この日は、店が休みで見られなかったのが残念である。ここで歴史観の兼ねた喫茶店で休憩し、また宿場を進むと日枝神社、薬師道の道標、柏原一里塚、そして西見附跡で宿場を終わる。街道を進むと小川の関を通り、梓の道標、松並木、国道を渡り、しばらく行くと街道は桜並木となる。一里塚を越えると醒井宿に入る。







醒井宿は、まさに桜満開であった。鮫島中将の歌碑、ここの地名と由来となった「居醒の清水」の湧水、八幡神社、そして地蔵川に沿って今を盛りとする桜が満開であった。川には、清流にしか生えない梅花藻が茂っていた。本陣跡、十王水、西行水を通り、JR醒ヶ井駅で本日のウォークを終わる。









下の「http://w01.tp1.jp/~a021511931/25taruisamegai.html 」をクリックするとグーグルマップ(地図)が表示されます。地図の右上の「航空写真」をクリックすると航空写真が表示されます。地図の左の「+」で拡大「-」で縮小します。

また、地図の下の「ルート再生」をクリックすると行程を動きます。そして、ピンマークをクリックすると写真が出ます。

お楽しみください。



http://w01.tp1.jp/~a021511931/25taruisamegai.html

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