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「閉鎖」まちかどリポーターの「ニューギニアに眠る最愛の夫へ 阿部鈴子さんは今語り始めた」
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ニューギニアに眠る最愛の夫へ 阿部鈴子さんは今語り始めた
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2007年01月31日 07:04
 「私の大事な四郎さんの骨は、今も遠いニューギニアの土に埋もれています」と彼女は淡々と語りはじめる。87歳には見えないしゃんとした姿勢で立って、よく通る声で。50人余りの参加者は、彼女の一言をも聞き漏らすまいと耳を傾ける。
 「四郎さんは隣のお兄さんだったの」と、舞鶴の幼児の頃の思い出が語られる。そしてお下げ髪の鈴子さんに思いを寄せた四郎さんは、やがて上京して苦学を積む。鈴子さんとの文通がやがて恋仲に発展、交わした手紙は370通にも及んだ。
昭和16年に結婚し、二児を授かる。が、楽しい家庭を悲劇が襲う。それは、四郎さんの出征。戦地から届いていた手紙が19年4月に途絶えた。21年の12月に戦死の公報を受け取った。
「広報にはね、19年4月26日、ニューギニアのアイタぺで戦死とあったの。白い木箱の中には位牌の形の白木に阿部四郎と書いてあったの。私の大事な四郎さんがこんな姿に、信じられません」と鈴子さんは声を詰まらせたが、すぐに話に戻った。
 「私ね、去年の4月にアイタペへ行ってきましたの」鈴子さんは、縁があってニューギニア、しかもアイタペの方を紹介され、親族と一緒にアイタペの地を踏んだ。「城陽からニューギニアまで、地球儀で28センチよ」と気軽に。
最愛の人が見つめたであろう海に向かい、「四郎さん、会いに来ましたよ!」と大声で叫んだ。8日間にわたる強行スケジュールの慰霊の旅を終えた鈴子さんの胸に去来するものは、まだこの地に眠っている夫の遺骨を日本へ持ち帰りたいとの強い思い。
「四郎さんが出征するときに、行かないで、と叫べなかったの。お国のために軍人たる本分を尽くしてくださいって送り出したの」と鈴子さんは自分への後悔を語る。
 60年間封印してきた手紙を公開して、最愛の人・四郎さんへのあふれる思いを一挙に語り始めた鈴子さんは、今を生きる戦争犠牲者であり、貴重な語り部である。
   (1月28日、京都市・聖護院御殿荘での「阿部鈴子さんのお話を聞く    会」のリポート)





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