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宇治市槇島町に、かつて高射砲陣地があった。
【閲覧数】1,137
2007年12月07日 00:23
―序に代えて―
 
 高射砲陣地といえば、もちろん戦争のための兵器が座っていた場所のことです。
宇治市槇島町にそのようなものがあったなどと想像しがたいのですが、歴史の現実はしっかりと見つめておくべきです。
それを証明する写真が、洛南タイムス紙(1999年11月14日付)に、「米軍が見た宇治の航空写真」(1946年(昭和21年)7月24日撮影)として報道されています。円形に白く光って見える場所が、高射砲陣地です。写真に赤や黄色の説明を貼り付けましたが、右手にはまだ隠元橋の架かっていない宇治川や陸軍の火薬製造所が、左手には国道24号線がくっきりと写っています。
この写真は、宇治市の誕生・昭和26年より5年もさかのぼる敗戦直後の宇治の町並み鳥瞰図として貴重なものと思われますが、提供者も友だちから譲り受けたらしく、その由来を探る術はないようです。
 記事によれば、高射砲陣地あたりには、現在は京都文教大学のキャンパスが広がっています。槇島町の田園も今は住宅密集地に変わっています。

   
 さて、私がこの写真に長年興味を持ち続けてきたのは、高射砲陣地についての記述を見つけたかったからです。この写真に何らかの説明を補充することが出来ればとの思いから、ついに行動を開始しました。長い旅の一歩を踏み出しました。
 
 先ずは、京都府総務課へ問い合わせたところ、府立総合資料館を紹介され文献課へ電話をしました。答えは「軍の機密に関する情報を府は一切持っていません」とのこと。
宇治市史に宇治火薬庫の記述があり、推察すれば、重要拠点を守るために高射砲陣地が設置されたと思われる、と想定内の返事しか得られませんでした。残念そうな私に、係りの人は「槙島100年史」という本があるので、そこに書かれているかも知れないと教えてくださいました。   
 
 槇島小学校を訪問したところ、「どうぞご利用ください」と好意的に100年史を頂戴しました。つぶさにページを繰ってみましたが、高射砲陣地の記述は出てきません。
けれども、戦時中には学校の運動場がサツマイモ畑になって、児童が懸命に収穫に励んだことなどが書かれていて、興味深く読ませていただきました。

 宇治の歴史資料館にも電話で問い合わせてみました。
やはり、戦時中の記録は残されていないそうです。宇治火薬庫や、伏見16師団などの軍の関連施設であったと思われるとのこと。この種の資料は偶然に何かの拍子で発見されることもあるので、そうした時には連絡をいただけるそうで、淡い期待が持てます。
 宇治市は、戦争遺跡の保存や銘板設置など、歴史を残すことに積極的に取り組んでいる自治体です。市民の関心や要求が高まれば、歴史の新資料発掘につながることも考えられるのではないでしょうか。

 私は、視点を変えて高射砲陣地の検証に取り掛かることに致しました。
歴史を物語る記録がない場合は、その時代をその土地で生きてきた人を辿ってみてはどうだろうかと考えてのことです。
                               <続く>

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