中西伊之助は1887年(明治20)2月7日に 生まれ、1958年(昭和33)9月1日に亡くなるまで、闘いつづけました。プロレタリア作家として、社会運動家として、様々な被抑圧者の解放のために力を尽くました。 京都府久世郡槇島村(現・宇治市槇島)の農家に生まれた中西伊之助は、少年時代から、陸軍宇治火薬製造所、鉄道機関車掃除夫など様々な労働にたずさわりながら苦学しました。朝鮮にわたり、新聞記者をしていた時、総督を批判し鉱山労働者の虐待を新聞に暴露し投獄されます。日本にもどり、日本交通労働組合理事長として東京市電争議などを指導するかたわら、『赭土に芽ぐむもの』を発表し、「種蒔く人」の同人となり、以降は作家としても活躍します。他に『農夫喜兵衛の死』『赤い絨毯』など多くの作品があります。小説・評論などを次々発表しながら、「農民自治会」など社会運動に駆けずりました。日本無産等などの役員としても活躍し、太平洋戦争中も反戦反ファシズムの立場を一貫し、戦争協力の「筆」は持ちませんでした。終戦とともに神奈川で日本共産党を再建し、戦後初の総選挙で当選(次点繰上)し、衆議院議員を二期つとめました。 中西伊之助は、民族差別・部落差別・女性差別、刑事被告の抑圧に怒り、抑圧される労働者や農漁民に心を寄せる、戦闘性にあふれる運動の指導者であり、気骨の人でした。中西伊之助を顕彰するコミュニティーです。 |