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2018年07月19日(木) 

 

 

 

 

>基本的に知性が欠落してきた人間が多いほど、安定(=近代観念)が求められるという状況を打破せねばならない。>■信仰心は難しい事を考えすぎない事に役に立つ 

>私達は常に選択を迫られている。>例えば何を食べるかだって選択のうちの1つだ。米を食べるか、パンを食べるか。パスタにするか、蕎麦にするか。>人生は選択の連続である。

 

そうですね。定食にすれば、選択の余地はなくなります。

 

>そして意外と選択は結構、脳のリソースを強く使う。>かの有名なスティーブ・ジョブズなんかは、決断の力を極限まで失わない為に、毎日あの同じような服を着ていた事で有名だが、”正しい”選択を常に迫られると人はヘトヘトになってしまう。

 

日本人は、特に疲れる。

日本人には意思がないので、意思の内容をいちいち相手に尋ねられると疲れを感ずる。

 

>こういう時に、宗教は結構便利である。>だいたいどの宗教にも、比較的規範となるような鉄則がそこそこ整備されており、それを遵守するだけで”その宗教からみれば正しい”行いを、あまり難しい事を考えずに”選択”する事ができる。

 

そうですね。すべてを儀式通りにやっていれば、難しい選択を回避できますね。

 

>人はみんなと同じことをすると安心する生き物だ。

 

人は、群れを作って生活する生き物ですからね。

 

>特定の宗教の信者は、その宗教の教義による”正しい”とされる行動をみんなで一緒にやることで、安心して”正解”を選択することができる。

 

ご唱和の世界ですね。

 

>宗教は”自由”すぎる世界から、”正しい”行いのみをふるい分けてくれるという、選択コストを減らしてくれる魔法のツールなのだ。

 

宗教生活は、定食を食べて暮らす生活のようなものかな。選択のコストが激減します。

 

>■勉強し続けるのは多くの人にはシンドイ

>「数百年も前に決まった事を、現代にもなって守るだなんて馬鹿げている」>こう思う人も当然いるだろう。>僕も個人的にはこの考えには賛成するのだけど、しかしいつまでたっても自分の頭で何が正しいのかを考えて決めるのは意外とシンドイ。>僕は勉強が苦ではない性分であり、かつまだ頭がそこそこ働くという事もあって、今現在は新しい考えを取り入れる事についてはあまり拒否反応はない。>だけど、最近になって、これが果たしていつまで続けられるのだろうかと若干不安になってきている。>人間という生き物は、いつもずっと頭脳が使えるわけではない。

 

そうですね。

 

>人によっては随分高齢になっても頭が柔らかく、様々な知識をみにつけられる人もいるけれど、僕がみている限り、多くの人は40歳を超えたあたりから新しい事を勉強する事が極端に苦手になってゆく。>あなたの周りにも、妙に頑固な人や新しいやり方についてこられないタイプの人がいないだろうか? >僕が思うに、ああいう人というのは新しい考え方を取り入れたくても、もう取り入れられないのだ。 >僕はそういう人の事を”知性が抜けた人”と読んでいるのだけど、僕が思うに遅かれ早かれ、人間という生き物はみんないつかはそうなる。

 

そうですね。その覚悟は必要ですね。

 

>私達は成長するにつれて身体が大きくなり、知力も上がっていく傾向があるけれど、当然だけどそれは永遠に続くわけではない。 >ある段階まで至れば、人は今度は下り坂に差し掛かる。 >そういう時、新しい”常識”は、あなたに強い恐怖として襲いかかる事になる。

 

これは、お手上げですね。

 

>新しい知識が正しい事であり、それを身につける事が道理だとしても、もうあなたの頭にはそれを学ぶだけの知性が残っていなかったとしたら、あなたはどうするだろう?

 

他人任せにするよりほか、仕方がありませんね。

 

>たぶんだけど、あなたは新しいことを頑なに認めない、ステレオタイプな頑固な爺さんのような態度をとっちゃうんじゃないだろうか?

 

それほどの勇気と自信はありませんね。

 

>一部の年配の方が頑固なのは、新しい常識を再度学び直すのがくっそ面倒くさいからに他ならない。>それをエレガントに威厳を持って拒絶するのに、頑固というのは便利なツールなのだ。>年配の方が頑固になるのも、理由があるのである。

 

‘これしかない’ というやり方ですね。

 

>■宗教はアップデートされない、自然淘汰を生き延びた知見である

>僕は幼い頃、伝統とかいうものが物凄く嫌いだった。神社とか寺、歴史的建造物をみるよりも、ゲームボーイをやってる方が圧倒的に楽しかった。

 

何もかも新品ですね。人も心も新品ですね。

 

>しかし最近になって、伝統や宗教というのは本当に強いなという事を実感する。

 

長い歴史の選択に耐えてきた内容ですからね。

 

>新しい事は、新しいがゆえにすぐに入れ替わる。

 

新参者は、疾く入れ替わりますね。

 

>さっき例に出したゲームボーイだなんて、今やってる人なんてほとんどいない。>かつて一世を風靡したポケットモンスターだって、いまは思い出を懐かしむことぐらいしかできない。>昔、ポケモン大会で優勝した人の名前なんて、もう誰も覚えちゃいないだろう。

 

過去は、疾く風化する。

 

>一方、伝統や宗教というのは本当に変わらない。>若い頃は、この変わらないという事が退屈で古臭いものにみえてしまうものだけど、歳をとると逆に変わらない事にこそ、優しさを感じてしまう。

 

そうですね。古臭いものをありがたいと思うようになりますね。

 

>今では歳をとった人が伝統を遵守し、保守になる気持ちがよくわかる。>変わらないという事は、それだけ知性が抜け落ちた人にとっては優しいのだ。

 

何事もお変わりのないことは、天下泰平の証ですね。’めでたし、めでたし’ というところでしょう。

 

>だからこそ、多くの人はある段階から伝統という変わらない、大いなる物語を自分の生き方の模範に取り入れるのだ。>あれらの知見は、それこそ数百年もの間の自然淘汰を経た結果、まだ現存している1つの強力な”正しい”ものの見方なのだ。

 

そうですね。残酷なものは、’過去のない老人’ と ‘未来のない若者’ ですね。

 

>誤解してほしくないのだけど、僕は今でも技術革新は大好きだ。

 

結構なことですね。

 

>日々アップデートされる医学知識を身につける事についても、あまり今の所苦労はしていない。>けどアイデンティティーの構築や生き方の規律のようなもののバックグラウンドに、保守的な知識や宗教という時の洗礼を耐え抜いた”枯れた知識”を導入する事にも強い魅力を感じるものまた事実である。>そこには日進月歩のように進歩する、日々アップデートをしなくてはならない医学知識を学ぶ事の苦労は微塵もない。>その割には、時の洗礼を耐え抜いたという、妙な強さを持っていたりするのだから、実に魅力的だ。

 

そうですね。保守党の魅力ですね。

 

>歴史の重みや変わらなさってのも、いいものだなぁと思うのである。

 

そうですね。地球の重みのようなものかな。

 

>私達は伝統という安定感を自分の中に取り入れる事ができた時、ラットレースのような目まぐるしく常識が覆えされる世界から、ようやく足を洗えるのかもしれない。 

 

日の下に新しきことなし。されど、人類は限りなく進歩する。人は、自分自身の考えを改めることができるからである。考えを改められなくなった人たちは、この世から去ってゆく。

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数505 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/07/19 14:36
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