(略) >来るべき21世紀において、豊かで魅力ある日本を築くためには、社会のあらゆる分野において、主体的に行動し自己責任の観念に富んだ創造力あふれる人材が求められる。
そうですね。しかし、主体的・責任・観念・創造力などの意味が理解できないと、せっかくの提言も美辞麗句の羅列に終わりますね。
主体的: 日本人には意思がないので主体的な行動をとることは難しいでしょうね。 責任: 意思のない人には、責任がありません。殺意がなければ、人は死んでも殺人罪には問われませんからね。意思のない人に謝罪を強要することは、自虐を強要する行為ですね。 観念: 現実は頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。非現実 (考え) は、頭の中ある。見ることができない。ただの話なので、理解を必要とします。観念は、考えである。現実離れしたことは、日本人には、信じることが難しい。 創造: 非現実の内容を現実の内容として実現することであります。だが、日本人には、非現実の内容が存在しません。英米人なら、これは哲学になります。日本語では、現実の内容は本当のこと。非現実の内容は嘘になります。
>しかし、わが国の現状を見ると、教育制度はもとより、企業の人事システムなど社会全般においても、このような創造的人材が育ちにくい状況にあり、このままでは世界における指導的国家の一つとして、活力ある日本を築くことは不可能といわざるをえない。
そうですね。創造的人材の育ちにくい環境がありますね。日本人には、非現実の内容を認めることが難しい。
> 【教育界・行政・家庭へ提言】 >○創造的な人材は画一的な教育システムの中からは生まれない。
そうですね。創造は、個人単位ですね。個人の考えは、ばらばらですからね。個人を離れた教育は、画一的になります。
>○教育機関のピラミッド型の序列を助長し、教育を歪める最大の要因ともいえる受験戦争を是正するため、現在の大学入試を知識の量を点数で評価する形から、学生の思考力を含めた学力、関心、素質などを複眼的に評価する方式に改革する。
上とみるか、下とみるかの判定を繰り返していれば、序列ができる。そして、序列人間の住む縦社会ができる。 日本語には、階称 (言葉遣い) がある。上下判断に習熟しなければ、日本語会話も上達しない。日常生活にも差し支える。日本人の価値判断は、上下判断が基礎となっています。 日本人の礼儀作法は、序列作法になっている。序列なきところに、礼儀なしである。 人を見損なってはいけないという思いは、脅迫観念の域にまで高められています。世俗の上下にこだわる日本人は、自国と自国民が下とみられたと感じたら、話がとても自虐的であると判断する。これは、日本人に悪気 (罪の意識) のない証拠なのでしょうね。批判者を、’日本と日本人に何か恨みでも?’ と忖度 (推察) するようである。このような気分・雰囲気が、我々日本人の主導する自己改革の行き着く先になるのでしょうかね。これは、歌詠みの世界なのでしょうね。
>○討論やフィールドワークなど、思考力と体験を重視する授業を通じて、自分で目標・課題を設定し主体的に行動することのできる子供を育てる。
意思は、未来時制の文章内容である。日本語文法には、時制 (tense) というものがないので、未来時制もない。だから、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。 意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思がなければ、仕方がないから諦める。だから、日本人には主体的な行動はとれない。
>○家庭や地域は教育を学校任せにせず、各々の役割分担と相互の連携に基づき、適切な教育を行うことが求められる。
適切な教育も難しい。それは、日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がないからである。個人のリーズナブルな答えが得られない。だから、没個性的にとどまらざるを得ません。 外国人は、日本語を話しても無哲学・能天気にはなりません。ですから、日本人も英米流の高等教育を受ければ、正しい考え方になると思います。理性判断をする人間の増加により、徐々に日本の社会にも、理性判断が浸透するものと考えられます。 (略)
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