大病すると看護師をしていた妹が大体支援活動に来てくれます。そして経済的な支援までやってくれるとてもありがたい妹です。 仕事もほとんどしなくなったし、JRの友の会にもはいったからというので余計にフットワークが軽くなった。 それは良いのだが、床上数十センチのごみ、ゴキブリの巣状態の部屋を見て激怒!こんなところへ戻すわけにはいかないと大清掃を決意、ゴミ捨てはすべて清掃サービス業者に委ねることに。 病床でうつらうつらしている僕に、捨てて良いゴミ残すゴミ(ごみではない)の区分指定をしろとの命令。入院時もバタバタして部屋の様子の詳しいし奥が無い。個別の物件まで、チェックをさせたのでは他の作業にもかかわる妹が大変。清水の舞台から飛び降りる心持で簡明な指示をした。これが悲劇につながるとは。 出した指示は絵画関係とダンス雑誌だけ残す。 部屋はきれいになっていたし、清掃も妹がやってくれてテたので快適な退院のひびが始まった、はずだった。 額縁、キャンバス、スケッチブックはこんなにと言うくらい。ダンス雑誌も残っている。 しかしWiFiが無い。コネクタの処で線がぶっちぎれていてルーターや電話は放りっぱなし。固定電話はあきらめルーターを何とか接続、何とか復旧。 本塁は旅行や歴史の資料的な者、ヌードグラビアなどは仕方ないのだが、図書館の本まで無くなっている。次に図書館を使うためにはすべての本の弁償を済ませないといけない。ダンスも雑誌は残ったが、解説本、教本など資料類は全滅。まあ、これは勉強し直しの点の声か。 絵画も画材類が殆どアウト。移動用の袋に入っていたせいか。こちらは応急手当が要ったがなんとか処理。 残念だったのはデジカメ。終のカメラと思って奮発したフォーサーズのコンデジ。なんでこんなものを捨てるんだ非常識だと業者にもんくと捜索依頼をしたら時間が立っているから無理ですと言われた。 これからは体をいたわって、遺跡巡りをと楽しみにしていたのに。携帯のカメラだけでは不満だし。終のパソコンか終のカメラか暫く悩みそうです。 こんな状況で生活再開と言ってもすんなりいかないのが悩みです。 |