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2021年07月10日(土) 

 

 

>368513        周りの声を「聞きすぎる」人は、いつまで経っても成長などしない

>土偶 ( 26 会社員 ) 21/07/09 AM10

>ブレない人が生き残る あなたは大丈夫? >「周りのみんなが反対するから、自分も」「業界ではこれが常識だから、この方が無難だ」とか、「ライバル店もやってるから、うちでもやってみるか」などと自分の意思を持たずに判断や決断をしたり、周りの意見や声が気になって仕方がないという人のほとんどが「ブレる」人です。>こういう人のビジネススキルや成長は難しいものがあります。>こういう経営者の会社は伸びませんし、そこで働く人も育ちません。>まわりが反対するから、止めておこう >まわりがこんなことをやってるから、うちでもやることにしよう >みんながそういうなら、そうしよう >そんな判断基準しかないということは、言い換えれば、自分で決断することから逃げている状態。>責任感が希薄しているか、あるいは全く無いので、いつまで経っても楽な方へ逃げたがります。  

 

そうですね。思考停止の状態にある人は楽ちんですね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。  

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

>コンサルタントの現場でも過去にそういったことがありました。 >ある専門飲食店の業績が悪化していたのでメニューを拝見すると、○○が専門なのに、もう何屋さんか分からないくらいのメニューになっていたので、「メニューにある、これと、これとこれ、を止めてください」と提言すると、「えっ、そんなに?それじゃ90%は要らないってことじゃないですか」「そうですよ、だって、これじゃ何屋さんか分からないじゃないですか」「…分かりました。料理長と話し合います」。

>結局、返ってきた返事は、厨房スタッフみんなに反対されて現状のメニューを減らすことはしないということでした。>その数ヵ月後、このお店は静かに閉店しました。 

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)     

 

 

 

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閲覧数204 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/10 02:45
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