>まいどなニュース >「みんな紙のノートに書かない、タブレットに書いています」海外の大学院で、アナログ派は絶滅危惧種…!? >まいどなニュースの意見・ >1日・ >「海外大学院に留学中ですが、紙のノートを使っている人、私だけです。 >若い人たちは板書もメモも 紙のノートに書きません。 >みんなタブレットに書いています。 >もう一度言います。 >紙のノートを持っている人はいません。 >みんなノートは書かない、もしくはタブレットに書いています。 >紙のノートはオジサn...」 > そんな授業風景を「X」にてつぶやいたのはMBAの資格を取得するために、30歳をこえて海外の大学院に留学中の「スカイ・チャン」(@hrnmkhrnmk)さん(以下、チャンさん)のアカウントです。 >投稿は記事執筆時点で「10.8万」回表示されています。 >「国内の国立大学ですが、学生はデータのレジュメを持ち込み、データに書き込みます。 >ノートの人はほぼおりません。 >そんな感じですね。」 >「私の周り、まだ全然紙も見かけますねー 数式の板書が多いのでラップトップは使いにくく、タブレットだと重い/ネットで遊んじゃうからかもしれません」 >「数学科です。 >紙のノート使ってます。 >半数くらいはタブレットです。」 >「紙の書きやすさは捨て難いけど、管理の簡単さ、編集のしやすさ、などを考えてタブレットになってます。 >数学科は紙の人もまだまだ多い気がするけど。」 >「6年前、ハーバード院にいる親友のところに遊びに行った時、授業が全く同じ状況なのを見て驚きました。 >ただ紙を愛用していた親友曰く「紙のほうが記憶に残ることは立証できたと思う」とは言ってましたよ^^」 >投稿には、大学教員や研究者らから様々な声が寄せられました。 >「紙ノート派」は全体の何パーセント? >「私は授業でノートを書くのは」という問いかけとともにチャンさんは、以下4項目を並べたアンケートを実施しました。 >こちらは最終的に「2284票」の意見が投票され、以下の結果が出ました。 >「紙ノート派」61% >「タブレット派」19.3% >「PC派」10.9% >「その他or 閲覧用」8.9% > 日本でも小・中学生の児童に1人1台、デジタル端末を導入する「GIGAスクール構想」が進んでいますが、上記のアンケートを見る限り、日本の「Xユーザー」は授業中は「紙のノート派」の人が多いようです。 >しかし、様々な人種が集まり、「MBA」を取得するために勉強している海外の学生は「タブレット派」が多い、ということでしょうか。 >授業中は「何をしているのか不明な人」も > 詳しい話をチャンさんにお聞きすると、授業を受ける学生さんたちの中にはチャンさんのように、「紙のノートをとっている人」もいれば、「じっと前を見て授業を聞いている人 」「ノートパソコンでメモを取っている人」「タブレットでメモしている」「その他(ずっとパソコンを見ているので、板書を取っているのか授業以外の別の事をしているのか不明な人)」がいるのだそう。 > では年齢も国籍もさまざまであろうクラスメートたちは授業中にどのようにタブレットに板書しているのでしょうか。 >ノートを取っている時間はない > チャンさんによると、そもそも「(授業中は)板書をほぼ取らない」のだそうでその理由について「既に授業で使うPPT(「PowerPoint」のファイル)がオンラインで配られているので、ダウンロードしたPPT に直接パソコンで書き込む人が多いのだと思います」といい、さらに「授業によっては先生方が録音して公開してくれているので、わからない部分を聞き返せばいいだけ、というのもありますね」と状況を教えてくれました。
そうですね。便利な世の中になりましたね。
> また「授業中に発言を求められるので、ノートを取っている時間はない事もあります」とのことでインプットより、アウトプットすべきことに意識をフォーカスしている学生が多いのかもしれませんね。
そうですね。高等教育はアウトプットが大切ですからね。
>「紙ノート派」のメリットは > 現在は「紙ノート派」だというチャンさんですが、そのメリットについては「紙とペンがあれば良いので気軽に適当にメモできることと、「物」として残るので間違えてデータ削除をしたりしないこと。 >そして充電を気にしなくていいことでしょうか」としています。 > ちなみに今後「紙派」ではなく「デジタル派」に移行することはありえるか、とチャンさんにお聞きすると「在学中はタブレットに移行することはないですね。タブレット購入の金銭的余裕が無くて。。。お金があれば検討します!(笑)」と話しています。 >(まいどなニュース特約・山本 明)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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