>AERA DIGITAL >忘れた存在から「天皇陛下万歳」の特攻へと至る、日本型ファシズムの不思議 朝日新書通巻1000号記念対談 大澤真幸 × 片山杜秀 トランプ的世界とファシズムを読み解く >大澤真幸、片山杜秀の意見・ >4時間・ > 通巻1000号を記念して、社会学者の大澤真幸氏と思想史研究者・音楽評論家で慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏に、ウクライナ戦争、ガザ戦争、そしてトランプ再選でますます混沌とする世界について、「日本の戦前のファシズム」を軸に読み解いてもらいました。 >* * * >■ある種のファシズム的現象が欧米で起きている >大澤 アメリカやヨーロッパで今、ある種のファシズム的な現象が起きている、と僕は感じています。 >一番わかりやすいのはトランプ現象です。 >「アメリカ・ファースト」という標語に代表される、過剰なナショナリズム的な主張に同調する人がたくさんいる。 >ただし、これは僕らが普通にイメージしてきた古典的なファシズムとも違う。 >イーロン・マスクに代表される超テクノエリートと合体していることからもわかるように、リベラルな――いやむしろリバタリアン的なファシズムと呼べるものです。 >片山 大澤さんの最新刊の『西洋近代の罪』(朝日新書)にもそういうことが書かれていますね。 >大澤 さて、今年は戦後80年です。 >日本の場合、昭和で数えるとちょうど昭和100年、明治維新からだとおよそ160年にあたります。 >日本も戦前にある種のファシズムを経験しています。 >それが何であったのかをちゃんと理解することは、現在の世界と日本を見ていくうえで重要だと思います。 >戦後生まれの僕たちが戦前をどう記憶するか、どう歴史化するかは、単に知識の問題ではなく、さまざまな形で政治や実践にも響いてきていて、同時に、その困難も僕は感じます。 > ここで僕の念頭にあるのは、戦後50年に『敗戦後論』(現在、ちくま学芸文庫)を書いた加藤典洋さんの問題意識ともつながることです。 >敗戦から遠くなるほど、そのとき受けた傷が癒えてくるものだと、普通は思われています。 >けれども、敗戦のトラウマは、じつは世代を超えて継承され、潜伏していて、人口の大半が戦後世代になってしまっているのに、むしろ「今」、そのトラウマに由来する症状が出てくる。 >『敗戦後論』の刊行からさらに30年も経っていますが、ある意味でますますそれが深刻になっていると感じるのです。 > そこで『未完のファシズム』(新潮選書)という日本の戦前のファシズムに関する非常に良い本を書いた片山さんと話したいなと……。 >片山 『未完のファシズム』は2012年に新潮社の月刊誌「波」の連載をまとめて出した本です。 >日本は第一次世界大戦後、国家の危機に対応するため、強権的に独裁的に国力を結集する仕掛けを作ろうと、いわゆる天皇制ファシズムを選択します。 >しかし、明治憲法のままの天皇だと、いわば弱いファシズムにしかならないのですね。 >独裁的強権を成り立たせない構造を変えられない。 >結局、成り行き任せになって、ついに敗戦に至ってしまう。
日本人には意思がない。だから政治家も成り行きに任せるしかない。
>そんな総力戦体制の挫折について、戦前の陸軍のことを書きました。 >本当は海軍のことや当時の政治学、社会学、哲学のことも盛り込みたかったのですが、なかなか……。 >■「生きて虜囚の辱めを受けず」の作者までが忘却される >大澤 『未完のファシズム』には、陸軍大臣の東條英機が出した「戦陣訓」の作者の一人として、陸軍少将だった工兵出身の中柴末純(なかしば・すえずみ)のことが詳しく紹介されています。 >中柴という人がいたことをそこで初めて知りました。 >そして非常に驚きました。 >最も驚いたのは、僕らの忘却の徹底ぶりです。 >中柴は僕と同郷、信州の松本の人なので、僕は彼がいかに完全に忘れられているのか、実感できるのです。 >片山 日米開戦前の1941年1月に出された「戦陣訓」は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」との文言が有名で、玉砕や自決を強いたといわれる陸軍の訓令です。 >そこに中柴が噛んでいた。 >彼は今の日本の国力では戦争に敗けるとわかっていながらも、物量でかなわなくても精神で勝てるんだという精神主義を唱え、同時代的には目立つ軍人のひとりだったはずなのですが。
'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>総力戦体制の挫折の上に開き直った典型的人物だと思います。 >時代を知るのにはとてもよい。 大澤 東條のブレーンですから、ある意味、かなり立身出世した人です。 >このくらい重要人物になった人ならば、普通だったら、地元の人は、「郷土の偉人」のひとりとして必ず記憶にとどめ、たとえば生家なども保存されたり、ちょっとした記念碑とかが建てられてもふしぎではないはずの人です。 >ところが、松本の人でも彼のことを知っている人はほとんどいない。 >多分、僕に学が足りないので知らない、というのではないと思います。 >片山さんが見出した中柴は、戦争・敗戦に関して、日本人がいかに徹底して記憶を抑圧し、排除しているかを示す、格好の実例になっているのです。 >片山 たとえば、北一輝のような“一流”ばかりを取り上げて中柴のような時代相の写し鏡のような人物を忘却したのでは、時代の実相を忘れることにしかならないと思うのです。 >凡庸さや普通さなくして歴史なしですよ。 >戦後80年、昭和100年、明治160年という節目だからこそ、そういう構えを改めて大切にしたいと思います。 >■「尊王攘夷」では「尊王」のほうが重要な意味を持つ >大澤 教科書的に言えば、ファシズムは全体主義の一つです。 >国家を一枚岩的に統一する強い指導力というのが全体主義のイメージです。 >しかし日本の場合、はっきりとした全体が欠けているところに日本の戦前のファシズムの特徴があったんだ、と『未完のファシズム』では書かれています。 >だから未完なんですね。
つかみどころの無いのが日本人ですね。無哲学・能天気ですからね。
>これは明治以来の国家の組み立ての仕方、特に天皇に関係してくる特徴でしょう。 >片山 おっしゃるとおりです。 >大澤 では、なぜ明治維新の大政奉還、王政復古で天皇が政治の中心に出てきたのか。 >日本人が国民にならないといけなかったからです。 >幕末に黒船が来て一大事だと言っている時に、オレは自分の藩が、村が、家が大事だと各々が言っていたら困ります。 >それらよりも日本に所属しているという意識をつくる触媒が必要だった。 >それが将軍ではなく、天皇だったというわけです。
そうですね。徳川家よりも天皇家の方が長く続いていますからね。
> ただ、僕には疑問があります。明治維新は「尊王攘夷」で始まりましたよね。しかし、武士たちが最初から天皇を尊敬しているはずがありません。むしろ天皇のことなんか考えたこともなかったと思う。 >いわゆる尊王思想の水戸学のようなものが一応用意されていたけれども、倒幕運動に天皇を利用したというのが本当のところでしょう。 > 一方、攘夷のほうはどうか。 >徳川幕府は開国したからけしからんとなって倒幕運動が本格化します。 >しかしいつの間にかみんな開国になって、攘夷はどこかへ行ってしまった。 >晩年の加藤典洋さんが、本当は尊王のはずがないから、重要なのは攘夷のほうだった。 >しかし、それを臨機応変に開国に切り替えた明治維新のリーダーたちは立派だった、「攘夷」の中に素朴だけれどもきちんと地に足がついた「地べたの普遍主義」があったからだ、というような論を張っていました。 > しかし、僕は尊王がやはり重要だったと思います。
そうですね。我が国は序列社会で成り立っていますからね。
>少なくとも「攘夷」に比べて「尊王」はどちらでもよかった、というわけにはいかない。 >結局、それが明治のイデオロギーになって、そして明治憲法の中で天皇がそれなりに重要な意味を持つからです。 >しかし、本当は江戸幕府が始まった時に天皇制をやめてもいいような状況でした。 >明らかに武家や将軍側は、公家と天皇をみくだしていた。 >一応とっておくかという感じで残り、250年くらいほとんど存在感がなかったわけです。 > それなのに明治維新のときに、武士たちが――とりわけ下級の武士たちが――突然とそれにコミットする。 >その後、ずうっとコミットし続け、最後にはそのために玉砕や特攻までいく。 >この現象を一体どう考えればいいの >片山 徳川将軍が15代続いたのが江戸時代です。 >征夷大将軍は武家の棟梁に与えられる朝廷の官職ですが、徳川家にその他の武家が従うのは、武士という特権階級のリーダーだからであって、その意味では、確かに天皇は必要ありませんよね。 > 江戸時代は人口の3%くらいしかいない特権階級の武士をその他の人々が食わせるというかたちで、天下泰平がずうっと続いていました。 >これは鎖国の恩恵と言えます。
そうですね。
>外圧があったら、日本のような海岸線の長い国を守るためには、武士だけではまったく足りず、昔の防人(さきもり)のように国民総動員で行かないと無理なわけですから。 > そこがあらわになるのが幕末ですね。 >急激にロシアやアメリカから外圧がかかってきた時に、武士だけではどうしようもない。 >それで戦闘員を増やすには、古代の中央集権の「一君万民」というモデルに戻るしかないとなる。 >王政復古ですね。 >でも近代科学や近代産業やお金も必要だから、結局、明治維新は王政復古モデルと近代化モデルの合わせ技になるわけです。 > 攘夷のほうは、たとえば攘夷思想の親玉というべき水戸学の会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)でも、最後には攘夷は今すぐ無理だから時を待って、ということを言いだす。 >つまり、西洋文明を取り入れて国力がついてから攘夷するしかないというのが、攘夷思想家の落ち着きどころだったわけです。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>四民平等で国民を作り、工業生産力を上げて、教育で労働力も上げて、軍隊を強くしていく。 >その先にまた攘夷をやれるかもしれない。 >でもそれは傍流の思想ですね。 >主流はそのまま西洋近代の一員になってめでたしめでたしというほうで。 >頭山満(とうやま・みつる)などのいわゆるアジア主義の反西洋近代的なモチーフはやはり日本近代の脇役です。 > それが第一次世界大戦後に世界大恐慌があって、国際協調主義かそれを捨てるかという究極の選択を迫られる危機の時代になって、攘夷のモチーフがアジア主義などとも結びついて再帰してくる。 >会沢正志斎の予言通りになってくるのですね。 >もちろん尊皇を伴って。
日本語文法に基づく序列メンタリィティは何処までも強固ですね。
>(後編に続きます) >(構成/高橋和彦) (略)
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