>読売新聞 >「ストーカー被害」を訴えたのに、事情聴取は行方不明になった後…浮かび上がる捜査の問題点 >読売新聞によるストーリー・ >14時間・ > 川崎市川崎区の自宅に元交際相手の岡崎 彩咲陽(あさひ) さん(20)の遺体を遺棄したとして、職業不詳の白井 秀征(ひでゆき) 容疑者(27)が死体遺棄容疑で逮捕された事件で、岡崎さんは行方不明になる直前の昨年12月、ストーカー被害を神奈川県警川崎臨港署に訴えていた。 >しかし、同署が白井容疑者から事情を聞いたのは、行方不明になった後だった。 >岡崎さんの安全確保や捜査の問題点が浮かび上がってきた。 >白井容疑者、逮捕直後は「間違いありません」 > 発表では、白井容疑者は昨年12月20日頃~今年4月30日、川崎区大師駅前の自宅に岡崎さんの遺体を放置した疑い。 >逮捕直後は「間違いありません」と容疑を認めていたが、その後は事件について話さなくなっているという。 > 県警によると、岡崎さんは昨年6月以降、白井容疑者による待ち伏せなどを同署に相談。 >県警は白井容疑者に口頭で注意していた。 >昨年11月、復縁を確認し、対応を終了した。 > しかし、交際関係解消後の昨年12月9~20日、岡崎さんは同署に計9回通報していた。 >「家の周りをうろつかれた」「パトロールしてほしい」。 >緊急性の高さをうかがわせる内容もあったが、同署は白井容疑者から事情を聞かなかった。 >県警は「岡崎さんに事実確認のため来署を促したが、断られた。 >警察に対応を望んでいないと判断した」などと説明する。 >相次いだ通報にも危機感薄く > ストーカー被害者を支援するNPO法人「ヒューマニティ」(東京)の小早川明子理事は「警察官が被害者の元に出向くなど、積極的なコミュニケーションが取れたはず」と指摘。 >「11月まで対応していたのに、12月の短期間に相次いだ通報をストーカー事案と認識していなかったのなら、危機感の有無を評価する以前の問題だ」と非難する。 > 12月10日の通報は、「(白井容疑者が)自転車を返してくれない」という内容だった。 >同16日には自転車盗難の被害届を受理。 >1月24日、白井容疑者宅近くで自転車が見つかり、同署は周辺の防犯カメラを確認するなどしたが、白井容疑者に話を聞くことはなかった。 >割られていた窓ガラス「元交際相手かも」 > 岡崎さんは昨年12月20日朝、身を寄せていた祖母宅からいなくなり、祖母は同22日、「孫が帰ってこない。 >窓ガラスが割られていて、元交際相手が連れ去るために割ったのかも」と110番した。 >同署はガラス片が室内よりも屋外に多く散乱していたことから、室内から割った可能性があると祖母に説明。 >写真を撮影したが、指紋は取らなかった。 > この対応について県警は「祖母が『帰ってこないことが心配。 >元交際相手の家かも』と話したため、安全確認を優先し、白井容疑者の元に向かった」と説明する。 >同署が祖母の要望を受けて被害届を受理し指紋を採取したのは1月7日だった。 >行方不明後に7回事情聞く > 岡崎さんが行方不明になった後、同署は7回、白井容疑者から事情を聞いた。 >捜査関係者によると、「知らない」との趣旨の話をしていた白井容疑者は3月、「12月20日午前6時頃、(岡崎さんの)勤務場所の近くに行ったが会えなかった」と話した。 >捜査は進展せず、4月に入って白井容疑者の渡米が判明する。 > 昨年12月から4月下旬まで、捜査の主体は防犯対策や家出人などに対応する生活安全部門だった。 >犯罪捜査を行う県警捜査1課に事件の連絡が入ったのは、民家から遺体の入ったバッグが見つかった4月30日。
日本人は現実肯定主義ですからね。犯罪の現実を見るまでは犯罪の存在を確信できませんね。 飛行機なら墜落しなければ、墜落の現実を確認できませんね。墜落を未然に防ぐ仕事は事前の努力に成りますから現実肯定主義者には無理ですね。 個人の意思に左右される犯罪に関しては、日食の予測のように起こる前から理詰めによる到来の確信を得ることは難しいですね。 日本人には意思がない。だから、意思の内容を詮索して犯罪の実行を予測する技術は発達しませんね。意思の無いアニマルの被害を防ぐような対策になるでしょう。 だから、犯罪の予知は日本人には難しい。犯罪を未然に防ぐ捜査が子供の遊びと似たようなものになる。 日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。犯罪捜査は現実の中の事柄であり、安全確保の努力は非現実の中の仕事である。非現実の内容は頭の中にあって見ることができないから ‘嘘’ という事になる。
>警察幹部は「危険性を過小評価したと批判されても仕方がない」と話している。
日本語文法には時制というものが無い。未来時制の文章内容を詮索するような作業は日本人には不向きですね。お手上げですね。
>「最期は痛くなかったかな」 > 岡崎さんの遺体が見つかった白井容疑者の自宅周辺では4日、朝から多くの親族や友人らが花や菓子などを手に訪れた。 >親族の男性(51)は「(岡崎さんは)着物を準備して、二十歳を祝うつどいに出るのを楽しみにしていた。 >最期は痛くなかったかなと思うと、つらくて怒りしかない」と語った。
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人がわが国には必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望を持たせられない。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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