昨日、
源氏物語千年紀の国際フォーラム最終日兼、
文化庁第6回国際文化フォーラム2日目が
宇治市文化センターで行われました。
千年紀委員会関係、文化庁関係各位、
お世話になった方々にお会いすることができました。
田んぼアートが果たした役割というのは、
文化庁の進める文化力においても
関西元気文化圏推進協議会においても
かなり的を得たものだったように思いました。
11月1日京都国際会議場から始まった各フォーラムで配られる冊子に、
他の大きな行事とともに
田んぼアートの写真、田植えの写真2枚が掲載されました。
参加された方々、また諸外国の方々、
天皇陛下もご臨席でしたので、
きっと見ていただけたであろう?と思います。
文化庁の文化庁月報11月号にも掲載されております。
お手伝い頂いたみなさん、
参加された皆さん、
スタッフの皆さん、関係してくださった方々、
お疲れ様でした。
みんなで作り上げたものが取り上げて頂けて
本当によかったですね。
この行事に携わって
いろんなことが矢継ぎ早に起こりました。
降ってくるもの消えるもの不思議なこと。
源氏物語はあまり興味がなかった私ですが、
知らぬ間にその渦中に嵌っているような気がします。
源氏物語というのは色恋の物語という単純なものではなく
今も昔も変わらない人の生きざま、
また仏教による救済の道と説く方もおられ、
中国の文化が入って100年で日本のものに消化し
著された作品である、とか。
幾層にもなる中身が気がつかないうちに
ひとつのことば、一文の中に沢山折り重なっているなど。
また沢山の歴史の背景が見受けられる、
等々、
研究者たちによって紐説かれていたことは
興味深く面白く聞いておりました。
この物語一つでこれだけ色々なことが論じられるとは
やはり千年続くだけの本意があるからなのだと改めて
感じました。
国内外の古典をもっと学ぶことによって
気品が学べる、国と国の文化の違いも学べる。
源氏物語が難しいなら
まず
「春はあけぼの」から始めるといい。
ようよう白く、山際、少しあかりて、紫だちたる、
すべて、あいまいなところに「はかなさ」「哀れ」を感じ、
考える世界、創造する世界にいざなわれる。
その感性が養われる、
読むことを、声に出してもいい、
古典の日の11月1日から始めてはどうかと
総括されておりました。
なるど、だから中3のときの恩師は、
ほぼ1年間「春はあけぼの」の授業をやり通したのだと
今更ながら、強く確信することができました。
(それに答えているかどうかは別ですが・・・)
以前にもこの話を書いたことがありました。
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…?id=170855
また、
詰め込み教育を嫌うあまりのゆとり教育の失敗に関しては、
中国の教授が曰く、
中国では幼稚園では週に3つ、
小学校に入ると1週間で20の漢詩を覚えるのだそうです。
これは詰め込みでも何でもなく、毎朝10分、
しりとりのように覚えていくのだそうです。
九九を詰め込みとはだれも言わないのと同じ感覚のように。
覚えることは悪いことではないのだと。
海外の人は自分の国に誇りをもっている、そんなお子さんをここ数年、受け入れたり、また自分の子供を海外に送りだしたりしていることもあり、
またこのように
古典の話を聞いたり、源氏物語を研究する諸外国の方の感想を耳にする、そんな機会が増えている最近、
毎回同様に感じることは
日本はいつの間にか置き忘れた物が多すぎるのではないかと。
戦後生まれの私達が知らない いろんないい文化まで
沢山切り捨ててこられたのではないかと。
今の子供はその私達の2世、3世の代。
古典復古はあるべき姿なのではないかと思わされた1日でした。
と、コムズカシイ話で
短時間では自分でも収拾がつきません・・・(笑
しかし、
今日もまだお尻が痛い・・・・
半日は長い(笑
この日記も長くなってしまいました。
アカペラいかな!!