京都高島屋で今開催されています。先日の日曜日は、孫の珠江さんのギャヤリートークが始まる2時を5分ほど過ぎて、会場に着きました。安来市に生まれた寛次郎、今の東京工芸大学で陶芸を学び、卒業後京都五条坂の清水六兵衛の窯を譲り受け作陶活動を始めます。翌年高島屋で初の展覧会をする縁で社長の川勝堅二や今でも三条商店街から少し進んだところに旧毎日新聞ビルがありますが、竣工した初代支社長の岩井武俊、そして、当時新聞社の美術担当記者だった作家の井上靖と交流を温めます。中国や朝鮮の古陶器手法は大好評、さらに、実業家で、絵画もたしなむ、山岡千太郎との親しい交流で山岡の描いた絵画を壺にした作品や20歳上の山岡が病に臥せっているとき見舞いに行ってたまたま2人だけになった時、寛次郎が抱き寄せた瞬間、最期を迎えたと生前祖父は母などによく言っていたと珠江さんは話されました。やがて、戦争窯の火が使えなくなったときひたすら詩などを毛筆で書き『心の刀で身を削る』など多くの格言も遺しました。人間国宝や文化勲章も断り、陶芸家だけでなく詩人や書道家も楽しんだ寛次郎、なるほど歓喜にみちた人生と羨ましくもありました。
|