薄れた記憶を辿りつつ昔の登山紀行など書くと、そろそろ人生の終焉を迎えて人生を精算する時期が来たのか…とも思われそうですが、何々、過去を見返し、今後の計画を立てることも必要だ…と云うことで…。 人の紀行文を読んでいると自分でも書きたくなりましたが、何分最近は行っていないのでやむを得ず昔の紀行です。 1958年2月との記録。テント使用の山行きは単独行では負担が大きいので、同行者を募ることになります。同行したTA氏とは隣の教室の同期生。共に山岳部には入っていないが山好き。二人とも学部を卒業した後は仲間が減ったので2~3度 一緒に登りました。 彼との山行きは http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 にもアップしました。 富士駅のプラットホームで夜を明かした二人は身延線の身延まで行き、早川沿いに走るバスで新倉下車、転付峠に向かいました。峠への登りの途中から雪が残っていたり地面が出ていたり。輪かんを履いたり脱いだりしている内に峠に着いた頃には日が暮れました。そこから二軒小屋にはジグザグ下りになるのですが、二人ともバテてしまって曲がり角毎に尻をついていました。天気は悪くないので、二軒小屋の灯りは下の方に見えているが、ビバークすることに意見一致。焼いて持ってきたトーストを喰ってテントも張らずに寝袋へ。 翌朝は少し歩いて二軒小屋へ。小屋で朝食を取り、小屋番の爺さんとのんびりだべったあと、大井川沿いに下って椹島へ。川沿いの道は雪が所々。 TA氏 椹島には飯場の建物が何棟もあるが、その夜の人間は我々二人っきり。 翌朝は小赤石尾根(大倉尾根)を登る。椹島飯場から少し登ったところでT字路へ。登り気味の右にいったところ、やがて水場に出て行き止まり。道は頭の上の尾根を右に行くことは判っているので、すぐに道に出るだろう…とがむしゃらに登りだしましたが、荷物を背負って倒木をくぐったり乗り越えたり、落ち葉の上で足を滑らしたりして、結構大変。2時間以上かかってやっと尾根道に出ました大分損したような。急がば回れ…とはよくいったものです。 半分雪に埋もれた赤石小屋に着いた時はもう夕方近くだったと記憶します。小屋の中にも一面に雪は積もっている。中にテントを張りました。 雪に埋もれた赤石小屋 TA氏 テントは進駐軍の放出品で確か3,500円。下に木の枝を敷くのをサボったため全てを着込んでオーバーシュラフの中のシュラフにもぐりこんでも、しばらくすると下から冷えてきて身体が震え始めました。今のようにスポンジ製のキャンピングシートはありませんでしたね。 富士見平へ登る 富士見平への登りからの荒川岳 翌日は富士見平を越えたら夏なら尾根の南側をトラバースする筈なのですが、雪があると雪崩れそうで、尾根を直登。 しかし少し行った所(2,769ピークの付近) から少し登っては雪と一緒にずり落ちるようになり、二人ともヘトヘト。昼も過ぎたし、3,000米の主稜線で幕営するのもおっかないからこの辺で…と云うことで、すぐ下の狭い稜線で周囲に雪を積み上げて幕営。 TA氏 翌日は難なく昨日の難所を越えました。 富士見平と富士 小赤石岳への登り。TA氏 正面の斜面をジグザグ登ると推定されるが、雪崩れそうで到底行けない。右の尾根を直登。 小赤石尾根でのひととき TA氏 小赤石岳からの富士山 小赤石岳から赤石岳 主稜線からの富士 赤石岳への稜線の固まった雪の表面にアイゼンの跡を見つけました。この何日かの間に通った人がいたようです。我々には二軒小屋の爺さんが最後に会った人です。 荒川岳 宿泊予定の百間洞小屋は山の中腹の林の中にあるので、踏み跡のない積雪シーズンは見つけにくい。二年ほど前の夏に、私は光岳から縦走して来てここから赤石岳に登った記憶から百間洞をある程度下って、この辺か…と山勘で右にトラバース。すっかり暗くなっていましたが旨く百間洞小屋に行き当たりました。あるレポートでは冬に兎岳の方からやって来て、大沢岳の手前から百間洞に下り、そこから遡っていったそうですが、小屋が見付からず、大分行ってから後に振り返った時に月明かりが反射する小屋の屋根を見つけた…とのことでした。 中に雪は入ってはいなかったが寒いので床の上にテントを張りました。夕食を済ませてシュラフに入ったのは午前0時に近かったように記憶します。 小屋の屋根の宇宙人風の朝の私です。 下山のためには兎岳から大沢岳、赤石岳への稜線を越える必要があります。道など判りっこないので大沢岳頂上を目指して、交代にラッセルしながら直登。頂上に着いたのは何時頃だったか。 聖岳方面 頂上の少し南から大沢渡に向かう尾根を下ります。その日の内に帰る必要もないので、林に入った所でテントを張りました。 TA氏 のんびりとした翌日の下りはもう記憶から消えています。大沢山荘は当時からあって素通りしたような…。 二軒小屋を出てから遠山川に至るまでの5泊6日、TA氏以外の人に合わなかった旅でした。