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2011年11月15日(火) 

  薄れた記憶を辿りつつ昔の登山紀行など書くと、そろそろ人生の終焉を迎えて人生を精算する時期が来たのか…とも思われそうですが、何々、過去を見返し、今後の計画を立てることも必要だ…と云うことで…。



   人の紀行文を読んでいると自分でも書きたくなりましたが、何分最近は行っていないのでやむを得ず昔の紀行です。



  1958年2月との記録。テント使用の山行きは単独行では負担が大きいので、同行者を募ることになります。同行したTA氏とは隣の教室の同期生。共に山岳部には入っていないが山好き。二人とも学部を卒業した後は仲間が減ったので2~3度 一緒に登りました。



   彼との山行きは http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

にもアップしました。



   富士駅のプラットホームで夜を明かした二人は身延線の身延まで行き、早川沿いに走るバスで新倉下車、転付峠に向かいました。峠への登りの途中から雪が残っていたり地面が出ていたり。輪かんを履いたり脱いだりしている内に峠に着いた頃には日が暮れました。そこから二軒小屋にはジグザグ下りになるのですが、二人ともバテてしまって曲がり角毎に尻をついていました。天気は悪くないので、二軒小屋の灯りは下の方に見えているが、ビバークすることに意見一致。焼いて持ってきたトーストを喰ってテントも張らずに寝袋へ。



   翌朝は少し歩いて二軒小屋へ。小屋で朝食を取り、小屋番の爺さんとのんびりだべったあと、大井川沿いに下って椹島へ。川沿いの道は雪が所々。



    

                     TA氏



   椹島には飯場の建物が何棟もあるが、その夜の人間は我々二人っきり。



   翌朝は小赤石尾根(大倉尾根)を登る。椹島飯場から少し登ったところでT字路へ。登り気味の右にいったところ、やがて水場に出て行き止まり。道は頭の上の尾根を右に行くことは判っているので、すぐに道に出るだろう…とがむしゃらに登りだしましたが、荷物を背負って倒木をくぐったり乗り越えたり、落ち葉の上で足を滑らしたりして、結構大変。2時間以上かかってやっと尾根道に出ました大分損したような。急がば回れ…とはよくいったものです。



   半分雪に埋もれた赤石小屋に着いた時はもう夕方近くだったと記憶します。小屋の中にも一面に雪は積もっている。中にテントを張りました。



   



   雪に埋もれた赤石小屋 TA氏



  テントは進駐軍の放出品で確か3,500円。下に木の枝を敷くのをサボったため全てを着込んでオーバーシュラフの中のシュラフにもぐりこんでも、しばらくすると下から冷えてきて身体が震え始めました。今のようにスポンジ製のキャンピングシートはありませんでしたね。



     



 富士見平へ登る        富士見平への登りからの荒川岳





   翌日は富士見平を越えたら夏なら尾根の南側をトラバースする筈なのですが、雪があると雪崩れそうで、尾根を直登。 しかし少し行った所(2,769ピークの付近) から少し登っては雪と一緒にずり落ちるようになり、二人ともヘトヘト。

昼も過ぎたし、3,000米の主稜線で幕営するのもおっかないからこの辺で…と云うことで、すぐ下の狭い稜線で周囲に雪を積み上げて幕営。



    



      TA氏



   翌日は難なく昨日の難所を越えました。



   

    

   富士見平と富士



   



   小赤石岳への登り。TA氏



    正面の斜面をジグザグ登ると推定されるが、雪崩れそうで到底行けない。右の尾根を直登。



      



 小赤石尾根でのひととき TA氏   小赤石岳からの富士山



        



    小赤石岳から赤石岳     主稜線からの富士



   赤石岳への稜線の固まった雪の表面にアイゼンの跡を見つけました。この何日かの間に通った人がいたようです。我々には二軒小屋の爺さんが最後に会った人です。





    



    荒川岳



   宿泊予定の百間洞小屋は山の中腹の林の中にあるので、踏み跡のない積雪シーズンは見つけにくい。二年ほど前の夏に、私は光岳から縦走して来てここから赤石岳に登った記憶から百間洞をある程度下って、この辺か…と山勘で右にトラバース。すっかり暗くなっていましたが旨く百間洞小屋に行き当たりました。あるレポートでは冬に兎岳の方からやって来て、大沢岳の手前から百間洞に下り、そこから遡っていったそうですが、小屋が見付からず、大分行ってから後に振り返った時に月明かりが反射する小屋の屋根を見つけた…とのことでした。



   中に雪は入ってはいなかったが寒いので床の上にテントを張りました。夕食を済ませてシュラフに入ったのは午前0時に近かったように記憶します。



   



    小屋の屋根の宇宙人風の朝の私です。



   下山のためには兎岳から大沢岳、赤石岳への稜線を越える必要があります。道など判りっこないので大沢岳頂上を目指して、交代にラッセルしながら直登。頂上に着いたのは何時頃だったか。



   



      聖岳方面



   頂上の少し南から大沢渡に向かう尾根を下ります。その日の内に帰る必要もないので、林に入った所でテントを張りました。



   



    TA氏



   のんびりとした翌日の下りはもう記憶から消えています。大沢山荘は当時からあって素通りしたような…。



   二軒小屋を出てから遠山川に至るまでの5泊6日、TA氏以外の人に合わなかった旅でした。



閲覧数1,823 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2011/11/15 00:15
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2011/11/15 08:35
    いやはや 体力勝負ですね、
    今と違って荷物が大きくって重い。
    近場ですが、高校生の時に貧弱な装備で
    山に入ったら雪が降り出し、テントの中で
    毛布に包まって寒さに震え、一睡も出来なかった
    思い出があります。
    社会に出てからはバイク旅に移行したので
    本格的な雪山登山は経験していません。

    今ではもっぱら日帰りの雪山ハイクで、
    吹き溜まりでも腰までくらいの雪遊びです。

    カブ
    次項有
  • 2011/11/15 23:07
    鉛筆コッチさん
    岬のカブさん

    荷物は重かったですね。山岳部に入ると、キスリングに石などを40キロ程を詰めて背負って登らされる…と聞いて敬遠していましたが、1966年に立山にいった時
     http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

    テントは立派になったが重くなり、その上にスキーとスキー靴まで持って行ったので、荷物は40キロを遙に越えていました。コンロもガソリンコンロ(ホェーブス)でこれだけで何キロかありましたしたしね。ブタンボンベなどまだ存在しませんでした。40キロ訓練は意味があるんだな…と思いました。

    今は随分軽量化されたようですが、冬の数日のテント生活でどの位の重量になるのでしょうね。



    次項有
  • 2011/11/16 08:50
    40キロは苦しいですね、
    若いときでもその半分にしたいところで、
    今は10キロ程度で勘弁して欲しい。

    昔はテントが分厚い綿で、濡れるとさらに重くなる。
    今使っている4季用(2人用)テントは3、5キロで
    余分にペグや引き綱等を加えても4キロ程度です。
    これに寝袋,燃料や食料等、さらに他の装備を加えると
    10キロでは到底済まず、結果雪山は無理です。

    ブタンガスの沸点はー0.5度くらいなので気化熱
    で冷えることを考えると使い物にはならず、ガスなら
    プロパン。
    でもやはりガソリンですね。

    雪山で数日活動するなら今でも30キロ近い重量に
    なると思いますが、どうしても登りたい時は元気な
    若者に荷物を預けて最低限の装備で連れて行って
    もらうしかないでしょうね。

    カブ

    次項有
  • 2011/11/16 14:30
    アトさん
    赤石岳はコッチさんに連れられて目指したものの、途中でビビッてしまって結局、憧れの山の一つになってしまいました。

    今年の夏は聖岳の資料を集めただけで登るタイミングを失ったのは天候不順の所為にしております。

    コッチさんは両方の山を何回も登られていたのですね。

    赤石岳はもう体力的に無理だろうと思っていますがアプローチの便が良くなるとか、願わくばロープウエイでも設置されたら良いのですが実現性はないか。
    次項有
  • 2011/11/16 17:37
    鉛筆コッチさん
    岬のカブさん

    お答え有り難う御座います。

    そうですか。30キロね。あまり進歩していないような…。

    昔、ネパールにトレッキングに行った時、ポーター達は個人の持ち物は別にして1人30キロを担ぐ…と云っていました。ポーターは靴を履いているのもいましたが、サンダルや裸足で登るのも結構いました。

    一つの限度でしょうね。

    私は息が続かないので、重量に関係なく不能に近いですが…。

    そうか、家では使っていませんが、ブタンは家庭用でしたかね。燃焼カロリーから云えばプロパンは効率が悪いような。

    ガソリンでも予熱は必要でしたね。
    次項有
  • 2011/11/16 17:51
    鉛筆コッチさん
    アトさん

    貴兄と一緒に赤石に登ろうとしたことがあったのでしたっけ。塩見で途中から道が判らくなった…と云って戻ってきた貴兄に出くわして登りなおさせたような記憶はあるのですが…。

    赤石と聖は夏と冬とそれぞれ1回ずつです。登れるチャンスが多くはないので、、同じ所を繰り返すよりは別の山を…と思っていましたからね。

    赤石にロープウエーは無理ですが、登りだけヘリを使うのなら、今は結構安くなったのではないかしら。1人で高ければ、何人かで語り合って割り勘で…。

    ニュージーランドでは今年は残雪が多いので危険だ…と、2カ所でヘリを出してくれましたが、追加料金はなしでした。

      
    次項有
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