収蔵庫というのは出番を待つ楽屋みたいな、明るいイメージだったんですが、それは出し入れ中の写真しか見たことが内政なんですね。
絵の場合、祀られているっていう霊的なイメージがありますよね。他の手仕事でも“魂を込めて”という言葉があったけど、大量生産や100円ショップのおかげで、モノに念を込めるのは馴染めなくなったみたいですね。
でもスローライフや手作りの復権で先行き明るい部分もありますよね。
茅ヶ崎市が貰ったか預けられた絵が捨てられたと言うのをテレビでやってた。預かったモンなら道義的責任・賠償責任、貰ったモンなら市の財産を捨てたという責任と、どっちに転んでも苦しい状態との頃でした。 私のいた工場の廃品倉庫を壊すことになり、一応という事で調べたら、小松均(文化功労者)の100号の大作が菰と埃に包まれていました。いまは本社の迎賓室にあります。んーっ危機一髪。 アマチョア画家の共通の繰り言は、「儂が死んだら(作品は)全部粗大ゴミやモンなー」です。値段が付いたり、家族サービスをちゃんとやれば若干救われるのかなー。 |