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2006年11月16日(木) 
 茅ヶ崎市が貰ったか預けられた絵が捨てられたと言うのをテレビでやってた。預かったモンなら道義的責任・賠償責任、貰ったモンなら市の財産を捨てたという責任と、どっちに転んでも苦しい状態との頃でした。

 私のいた工場の廃品倉庫を壊すことになり、一応という事で調べたら、小松均(文化功労者)の100号の大作が菰と埃に包まれていました。いまは本社の迎賓室にあります。んーっ危機一髪。

 アマチョア画家の共通の繰り言は、「儂が死んだら(作品は)全部粗大ゴミやモンなー」です。値段が付いたり、家族サービスをちゃんとやれば若干救われるのかなー。

閲覧数1,559 カテゴリ日記 コメント5 投稿日時2006/11/16 11:33
公開範囲外部公開
コメント(5)
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  • 2006/11/16 16:05
    kotetu58さん
    未練です
    美を固定してはいけない
    あなたの絵の下にも
    過って貴方が創りだした美が眠っているでしょう
    次項有
  • 2006/11/16 17:54
    天使さん
    私でよければ、もし私が後まで残ったら、大切に保管しましょう~か???

    ウン!?
    余計なお世話ですか?

    キリギリスさん山口生まれですか、
    私もそうです。
    (^^♪
    次項有
  • 2006/11/16 21:16
    ずーっと前にいくつかの美術館の収蔵庫へ行く機会がありました。
    ずらーっと物故作家のお名前が並んで、それぞれの棚に遺作が収まってました。
    納骨堂みたいですね。そうなんですよ。と担当の方。
    ちゃんと祀られているって印象でした。
    厚い、深い、重い美の納め所でした。
    次項有
  • 2006/11/17 22:56
     上描きされて消えてしまった絵の怨念があるのかなー。kotetuさんはきっと、描き直しては後悔してるに違いない。
     天使さんに頼んで、バザーに出品するのもいいのかな。でもあまりに値切られるのも辛いかなー。
    次項有
  • 2006/11/17 23:10
     収蔵庫というのは出番を待つ楽屋みたいな、明るいイメージだったんですが、それは出し入れ中の写真しか見たことが内政なんですね。
     絵の場合、祀られているっていう霊的なイメージがありますよね。他の手仕事でも“魂を込めて”という言葉があったけど、大量生産や100円ショップのおかげで、モノに念を込めるのは馴染めなくなったみたいですね。
     でもスローライフや手作りの復権で先行き明るい部分もありますよね。
    次項有
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