唐突に浜岡原発を停止するのですと。
完全に安全なものを作ることが出来ないことが判ったから…というのなら、普通の反原発派の人達と同じ考え方だから理解は可能。しかしそうではないらしい。
これまでの想定した範囲では危険だから、もっと発生確率の少ない厳しい想定を検討しなおすため…も理解可能だがそうでもない。
掲げられた理由は、30年以内にマグニチュード8の地震が起こる確率は87%であり切迫しているのだからそうだ。それが判っていて建設した原発なのに…?
その後に計算ミスがあっかとか欠陥を発見した…という話しも私の記憶(信頼性は高くないが)にはない。何故これが理由になり得るのかが判らない。
想定された津波8mであり、敷地の高さは6~8m。敷地の前にある高さ10~15m砂丘と建物の間に新しい高さ15mの防波堤が完成するまでの停止だそうだ。これも判らない。
福島原発事故で、原発は停止しても完全に燃料が冷える数年間は危険なものであることを私は勉強したと思っています。福島では津波が来たとき、地震により核反応容器は正常に停止していた筈です。津波が来て冷却が出来なくなって、事故が起こりました。電源が確保されていれば問題はなかった…と私は理解しています。
福島第一原発の4号機は休止中だったのに水素爆発を起こしました。
浜岡原発は、停止させても、十分に冷却するまでは地震後・津波前の福島第一原発の各号機と状況は変わりません。停止後1年や2年で安全にはならない。福島事故でも温度が大分下がってきても、冷却にトラブルが起こるとすぐに温度が上がって危険になっています。
津波が来たときの危険性は原発の運転中と停止中であまり差はありそうにない。停止は中電を苦しめるだけ。
今やるべき事はマグニチュード8、津波6mの想定を見なおし、より安全な対策化を前倒しして超特急でやることではないか。原発を継続するか、廃止するかはその後の議論だ。
上記想定には十分の安全係数が掛かっているから、見直しの必要がない…というのなら、電源の確保だけを早急にやればよい。数ヶ月もかけずに出来るだろう。その場合でも、その間原発を停止することの意味が不明。また点検をやり直そう…なら意味はあるが、その間の危険性は運転時と変わらない。
あの人は政治家になる前は辨理士だったそうだ。辯護士は喋ること(辯論)で人の権利を守る仕事であるのに対し、辨理士は理を辨える(わきまえる) 人の筈なのに、だめですね。合理性に欠けているようです。理を辨えていないお方のようです。主張に合理性がない。両方の「べん」を「弁」に統一したからダメになったのかしら。
もう原発は止めた…と云えば、私は賛成しない(…と云っても私は原発推進論者でもありませんが。)が、筋は通る。
原発に対する私の理解が間違っているのかしらん。