>ー 生かせ!2度来る「ゴールデンエイジ」[Golden Age] ー ><先月6月南米で開催されたサッカー大会「コパ・アメリカ」で18歳の日本代表・久保建英選手が世界から注目された。>彼は、10歳でスペインに渡り、「ゴールデンエイジ」の時期、同地で鍛えて才能を開花させた。
そうですね。彼は英雄ですね。
>ゴールデンエイジとは一般的に「一生涯で最も能力が向上する時期」を指す。>その時期を最大限生かし、子供の力を伸ばすにはどうしたらいいのうか。>
そうですね。それが問題ですね。
> 〇神経回路が著しく発達する5~12歳 > 「ゴールデンエイジ」は5~12歳の時期と言われており、それは米国の医学者スキャモンの研究によると神経系の発達は5歳頃までに80%、12歳をピークにほぼ100%形成されるからだ。
そうでしょうかね。
> 神経系の発達とは、身体を思い通りに動かす身体能力につながる神経回路や、相手や周りとの一体化に必要な言語能力につながる神経回路など、神経の広がりやつながりのこと。>そのつながりはいったんしっかりと形成されると消え去ることのないほぼ永久の神経回路になる。 > よって、12歳までにさまざまな経験をすることが重要になるが、それにはサッカーやダンス単種目の経験ではなく、また暗記や詰め込み勉強でもなく、さまざまな動きを包括した「遊び」が最適だ。
それでは、’よく遊び、良く遊べ’ ですね。
> 追いかけっこからボール投げ、そして自分たちで遊び方やルールを作った名もなき遊びなど、次々と動作や場面・状況が切り替わっていく「遊び」は、運動神経がフル稼働するだけでなく、遊び仲間との関係形成に必要な言葉や人間関係の能力も磨かれる。
それは、育ち盛りですね。
> また、子供たちの遊びは「大人の真似事」のようなものも多く、「遊び」は社会に出るための準備でもある。
‘〇〇ごっこ’ という名の遊びですね。
>親は「遊びは無駄なもの」という誤った考え方を捨てて、思いっきり遊ばせてあげるべきなのだ。
そうですね。遊びも貴重な経験ですね。
> <もう一度来るが・・・> > 〇吸収力抜群の18~22歳 > 実は、人にはもう一度ゴールデンエイジがあると言われている。>それは心身が成熟に、社会で活躍できるようになる18歳~22歳の時期。>「社会的ゴールデンエイジ」とも言われ、最も素直でさまざまことを吸収する力がある時期だ。
これは、大学進学の時期ですね。
> しかし、問題なのは、この「社会的ゴールデンエイジ」に大学で無駄に時を過ごしている若者が多いということ。>多くの若者が「大学の方が成長できる」と無意識に信じ、貴重な成長の機会を逃している。
そうですね。わが国は、序列社会です。大学の方が序列競争に有利であると一般的に信じられていますね。
> 一方で、スポーツの世界ではプロ=仕事で成長を図るのは常識だ。> 例えば、現在、大リーグで活躍中の大谷翔平選手はこのゴールデンエイジを大いに生かしている。>23歳ですでに4年分の実績や経験があり、大リーグへのステップアップを実現させた。>野球のだけではなく、土台となる人間性や社会性もあり、米国でも高く評価されている。>そんな大谷選手を「高卒」とやゆする人は誰もいない。
そうですね。国際社会では、わが国の序列基準は通用しませんね。
>それどころか、目的なく時を過ごした大卒の23歳と比較すれば、社会人としての力量も圧倒的な差だ。
そうですね。大卒の23歳は、序列人間の悲哀ですね。
> 本来、仕事で成長するという選択肢は、スポーツの世界だけの話ではない。>しかし、根深い大学信仰がそれを阻害している。
我が国の大学信仰は、序列信仰に基づいていますね。 日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断ができなければ、正しい日本語会話も満足に習得できません。日本人の礼儀作法も序列作法に基づいているので、世俗的上下判断が疎かである人は、礼儀正しい日本人になることもできません。’人を見損なってはいけない’ という想いが強いので、人に関する上下判断は強迫観念の域にまで達しています。根深い序列信仰のために、日本人は神経を高ぶらせて一生を過ごしています。
>「社会的ゴールデンエイジ」をどう生かすかは、社会的課題だ。> 多くの若者が、やりたいこともやるべきことも見いだせない、そんな意欲を失った状態で「社会的ゴールデンエイジ」を迎えている。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容になるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制もない。だから、日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、方法がないので方法がない。仕方が無いので無為無策でいる。精神を鍛えなくてはならないと感じている人も多い。しかし、精神主義は危険である。 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇) 日本人は、意思がないが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思 (will) の自由は認められるが、恣意 (self-will) の自由は認められていない。それは、’自由のはき違え’ になるからである。だから、多くの若者は、昔の儘の ’不自由を常と思えば不足なし’ の暮らしとなる。
>親は、子供の「仕事をしたい」という至極真っ当な意識を、「とりあえず学校へ」などという先送り判断で阻害してはならない。
そうですね。先送りと積み残しは、避けねばなりませんね。
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