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2022年11月17日(木) 

 

>人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決定的に足りない   > 武居 秀典 2022/11/17 07:00   

>今年10月、英国に本拠を置くCAF(Charity Aid Foundation)が、2022年版「世界寄付指数」を公表しました。   

>同指数は、世界119カ国を対象に、過去1カ月間に「見知らぬ人、もしくは助けを必要としている人を手助けしたか(人助け)」「慈善団体に寄付をしたか(寄付)」「ボランティア活動に参加したか(ボランティア)」などの質問を行い、その結果を指数化・ランキング化したものです。   

>日本は2年連続で最下位レベル   

>今年の1位は5年連続でインドネシア、アメリカは3位、中国は49位、日本はなんと119カ国中、118位でした(昨年は114カ国中、最下位の114位)。  

 

わが国は寄付の後進国ですね。    

 

>日本は長年にわたり「グローバル人材の育成」を政策として掲げていますが、なかなか成果はでていません。   

>この世界寄付指数の結果は、「なぜ、日本でグローバル人材が育たないのか」「育成すべき真のグローバル人材とはどのような人材か」を考えるひとつの示唆を与えてくれています。   

 

そうですね。日本人には世界観がないですからね。     

 

>日本では「グローバル人材=英語が話せる人」という思い込みが非常に強くあります。   

>結果、グローバル人材育成というと、英語教育の強化や早期化に行き着きます。   

>しかし、当然ですが、「英語が話せる人」=「グローバル人材」ではありません。  

 

アメリカでは英語を話せる人は人並みな人ですね。   

 

>アメリカでは、ほぼ全国民が英語を話しますが、「グローバルに通用する人材」はほんの一握りです。   

>日本人が海外でビジネスなどを行う際、英語は話せるにこしたことはありませんが、これはひとつの素養にすぎません。   

>「真のグローバル人材」に必須な素養はほかにいくつもあります。   

 

教養 (哲学) が必要でね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.         

 

>まず、最も重要なのは「差別」に関する見識です。   

>日本でも「差別はいけないこと」と教えられますが、「内と外」を異様に区別する「ムラ社会」の特徴が今でも色濃く残る日本では、「差別はいけないこと」と頭でわかっていても、真に身についていません。

 

そうですね。日本人は序列人間で、わが国は序列社会を作っていますからね。序列関係にしか日本人の注意は働きませんね。序列関係にあれば、日本人は義理を果たすということ相互扶助が成り立ちます。義理とは、私的な序列関係から生じる義務のことです。国際関係には序列がない。彼らは序列外の人、つまり外人です。だから、義理もない。’義理が廃ればこの世は闇だ’ と日本人は歌っています。         

 

>昨年の東京五輪では、女性蔑視発言や障害者差別、人種差別などを理由に、組織委員会会長や、開会式の演出・楽曲の責任者等が相次いで辞任しました。   

>問題発覚当初、組織委員会や一部著名人から彼らを擁護するような発言があったことも含め、「差別」に関する日本社会の意識の低さを改めて世界にさらけ出しました。   

 

そうですね。身贔屓ですね。このような露出は有意義なことにしなくてはなりませんね。   

 

>以前、筆者は、日本の企業からアメリカの現地法人に赴任した際、現地で非常に徹底した「差別に関する研修」を受けました。   

>赴任前に日本でも同様の研修は受けたのですが、歴史的背景なども含めた研修の内容は、より具体的かつ実践的なもので、それまでの自身の「差別」に関する見識がいかに不十分だったか思い知らされました。   

 

その研修には英語を使った思考が必要でしょうね。   

 

>英語ができる、できないの前に、人としての見識が問われるのです。   

>日本社会全体はもとより、「真のグローバル人材」は、この最も重要な「世界の常識」をしっかり身につけることが必須であり、そのための教育のあり方をよく考えていく必要があります。

 

そうですね。世界の常識は日本の非常識ですね。      

 

>その大前提として、政治家などによる「差別発言」は、社会全体として、看過することなく、つど厳しく批判していくべきです。

>社会貢献の意識が低すぎる   

>2つ目は冒頭に取り上げた「社会貢献」意識です。   

>「社会」との関わりでいえば、日本人の多くは、小さい頃から「公共の場所では騒いではいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」としつけられているので、海外でも日本人の振る舞いに対する評判は悪くありません。   

 

そうですね。意思の無い日本人は指示待ち人間になっていますね。   

 

>このこと自体はよいのですが、日本人に足りないのは、「社会に対する積極的な貢献」です。   

 

そうですね。日本人には意思がありませんね。意思があれば積極的、意思がなければ消極的になりますね。       

 

>それが、世界寄付指数の結果に表れています。   

>2011年の東日本大震災などを機に、日本でも「寄付」や「ボランティア活動」が増えましたが、諸外国と比較すると、日本はまだ低いレベルにあります。   

>特に、「助けを必要としている人に手を差し伸べる」という意識や行動は、ここ10年、社会全体でむしろ後退しているような気がします。   

>車椅子に乗った人を差し置いてエレベーターに乗るなどといったことは、先進諸国だけでなく、どこの国でも決して許される行為ではありません。   

>人助けや寄付、ボランティアなどの「社会に対する積極的な貢献」は、少なくとも「グローバル人材に必須の素養」です。   

>このことは、日本校を開講した欧米名門スクールが、「社会貢献」教育をひとつの柱としていることからもわかります。   

>英語教育以上に早い段階から、「積極的な社会貢献」意識を養うことが求められます。  

 

意思の無い人間たちにとっての付け焼刃にならないと良いのですがね。   

 

>3つ目は「教養」です。   

>恥をさらしますが、筆者自身、海外での「仕事以外」の会話には相当苦労しました。   

>政治やビジネスの世界で活躍する諸外国の方々の「教養」には驚くほどの深みがあります。   

>いわゆる「リベラルアーツ」の世界です。

 

日本の大学の教養部はさえませんね。日本人は思考を停止していますからね。無哲学・能天気の人間です。      

 

>リベラルアーツとは、「自由に生きていくための教養」で、哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、外国語など、幅広い領域の教養を指します。   

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)   

 

>欧米の企業幹部などとの会食では、シェークスピアの演劇や古代ギリシャ哲学の話題などがさりげなく出てきます。   

>東南アジアでは、アジアの歴史、特に、近現代史などに関する相手の見識の深さに驚かされます。   

>大学からの勉強では遅すぎる     

>生半可な知識で対応しても、すぐにこちらのレベルを見透かされ、相手にされなくなります。   

>日本の大学でもリベラルアーツをうたうところが増えましたが、「真のグローバル人材」に必要な教養のレベルは、大学から勉強すればよいといったものではなく、小さなときから、学ぶ、触れる、身につけるといったことがなければ太刀打ちできません。   

>日本における「グローバル人材育成」のカギは、英語などではなく、ここにあると思います。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>そのためには、日本社会全体の教養レベルの引き上げも必要なので、学者や専門家、修士や博士課程の学生などが、自由に研究・活動し、それを社会に還元できるような環境整備が一層求められます。   

 

‘求めよ、さらば与えられん’ ですかね。自由とは意思の自由のことである。日本人は意思がない。だから、自由自体にも意味がない。不自由を常と思えば不足なしの生活である。   

 

>「グローバル人材」育成のための教育としては、ほかにも「自主性を養う」とか「自分で考える力やそれを表現し、相手を説得する力を身につける」といった点などが指摘されています。   

 

そうですね。意思があるので自主性も出る。日本人には意思がないから自主性も出ない。   

 

>しかし、まずは「グローバル人材=英語を話せる人」というステレオタイプから脱却し、世界の「グローバル人材」が、どのような価値観を尊重し、行動しているのかを理解することが重要です。

>そのうえで、グローバル人材育成を阻んでいる日本社会の構造的な問題点を改善していく努力と、真のグローバル人材育成に向けた教育環境の整備が求められます。   

 

そうですね。まずは、序列社会と序列人間を廃する努力をすることですね。    

 

>円安もあり、日本人の海外留学は高嶺の花になりつつありますが、世界のグローバル化は、さらに進んでいきます。   

>日本が「ガラパゴス化」し、世界から取り残されることのないよう、将来を担う「真のグローバル人材」の育成は、われわれ大人に課せられた最重要課題です。   

 

そうですね。しかし、意思の無い日本人には必要な行動計画が立てられませんね。   

 

>そのための議論をより深めていくべきと思います。   

 

そうですね。’隗より始めよ’ ですね。   

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)            

 

 

 

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閲覧数20 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/11/17 14:27
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