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2023年11月17日(金) 

 

>東京新聞   >「人間は偏差値じゃない」諭したのに、、、息子は東大前で受験生たちを刺した両親の後悔   >5時間  

> 「偏差値や学歴、職業で人を上下に見ていた部分があった」。   

>東京大前で2022年1月、3人を刺したなどとして、殺人未遂などの罪に問われた当時名古屋市の私立高校2年だった男(19)の裁判員裁判。   

>東京地裁(中尾佳久裁判長)は17日、懲役6年以上10年以下(求刑懲役7年以上12年以下の不定期刑)の判決を言い渡した。   

> 両親に対する証人尋問で浮かんだのは、中学時代から勉強にのめりこむようになり、高校受験のころから偏差値にこだわるようになった姿。   

>父親は「人の意見に耳を傾けるような正常なコミュニケーションがとれず、自己肯定感が低い部分があった」と述べた。  

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。   

 

>◆「普通の子ども」一方で自傷行為も   

> 両親の証言によると、男は幼少期、放課後には友だちと外で遊んだり、ゲームをしたりする「普通の子ども」だった。   

>小学5年からは塾に通いはじめ、地元の公立中学に入学後も塾通いは続いた。   

> 一方、高校受験の頃から、偏差値や高校の東大合格者数などを気にするように。   

>勉強にのめり込み、深夜1~2時ごろまで机に向かっていたという。   

>この時期、両親が心配したのは、男の「自傷行為」だ。   

>「眠気を覚ますため」と、自分の手の甲をカッターで薄く傷つけることもあった。   

>父親は当時を振り返り、「自分を傷つけてはいけない。   

>体を壊してまで勉強することはないと伝えた」。   

>母親も注意し、その時はおさまったという。   

>◆親にも出身大学を持ち出して反論   

> 勉強漬けの日々のなか、両親がちょっとしたことで諭しても、2人の出身大学を持ち出し「○○大学出身の人の意見は聞かない」などと見下すように。   

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。  

 

>父親が「人間は偏差値じゃない。   

>テストの出来不出来で、人の(評価に)差をつけてはいけない」と言っても、響いていない様子だった。   

>法廷で父親は「勉強でやればやっただけ成績が上がった。   

>他の人よりも努力すれば上に行けることから、そういった考え方になってしまったのでは」と推測した。   

> 自ら猛勉強していた男の姿を見ながらも、父親は「自己肯定感が低い」とも述べた。   

>どれだけ勉強しても、もっと上位の成績を取る人がいるため「全然だめだ」と思っていたとし、「成績は上がっても、満足はしてなかったと思う」と述べた。   

>◆そして「理科三類は難しい」と泣いた   

> 男は高校受験で、愛知県外の私立高校2校に落ちたものの、県内では第一志望だった私立高校に合格。   

>東京大理科三類を目指した。   

>だが高校2年から成績が落ち始め、9月になると男は「理科三類は難しい」と泣きながら両親に告白。   

>父親は「東大に行きたいの?それとも医学部に行きたいの?」と尋ね、医学部に行きたいというので他大学の医学部受験を勧めた。   

>母親は「自分の意見でしたいように選んでいいよ」と話した。   

>ただ、本人は「わかった」と言いつつも、納得していない様子だったという。   

> 両親と進路について話し合った後、12月の年末が近づくにつれて、それまで遅くまで塾で勉強をしていた男の帰宅が早くなった。   

>テレビを見たり、漫画を読んだりし始めた。   

>両親は「心に余裕を持てた」「メリハリをつけて勉強をするようになった」と前向きに捉えていたという。   

>◆両親が証人尋問で涙ぐんだ場面は   

> そんな印象が一変したのは、年が明け、事件前日の1月14日だった。   

>男はいつも通りの登校時間に家を出発。   

>夕方、パートの仕事を終えた母親の携帯に学校から「登校していない」と連絡が入った。   

>不安に思いつつ、きょうだいのご飯を作ろうと台所に立つと、包丁が1本ないことに気づいた。   

>警察に捜索願を出した。   

>両親は近所の公園や塾を探したり、高校の同級生に連絡したりしたが、行方はつかめなかったという。   

> 翌日、両親はテレビで「東大前で高校生らしき人が通行人を刺した」というニュース速報を見た。   

>「息子では」、とっさに両親が思ったところ、警察から「東京で(息子が)見つかった」と連絡があった。   

>息子の犯行だったと分かった瞬間、両親は泣き崩れた。   

>両親はいずれも、法廷で話す間、取り乱すことなく淡々と答えていたが、男の犯行を確信した瞬間の話では涙ぐんだ。   

>◆「死にたい」→「生きなければ」   

> 逮捕後、両親は男と面会や手紙のやりとりを重ねてきた。   

>男からは50通を超える手紙が届き、両親もそれ以上の手紙を送ってきた。   

>両親は近況や被害者に対しての思いを聞いた。   

>その中で、今年の9月頃から男の意識の変化が見られたという。   

>逮捕直後は、反省の言葉がなかったが、「自分がしたことがいけないことだった」と話すように。   

>「死にたい」とたびたび書いていた手紙も「生きなければいけない」と記すようになった。   

> 母親は「自分の考えが間違えていると認めるようになった。   

>人の意見も聞き入れるようになった。   

>人間に上下がないことも、ようやくわかってきたと感じた」と話した。   

 

そうですね。国際社会は ‘お前と俺’ (you and I) の社会ですからね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>検察官に変わったきっかけを問われ「被害者の調書を読んでようやくわかってきたのかなと思う」と推し量った。   

>父親も「いけないことをしたと、わかり始めたと思う」と述べた。   

>◆「私も悩みに気付いてあげられていれば」   

> 男に刺されてけがをした被害者3人に対しての思いを問われると、両親は「体だけでなく心も傷つけ、申し訳なく思う」と謝罪した。   

> 弁護人になぜ事件が起きたと思うか問われると、母親は「大事にしていた友だち関係、趣味、恋愛などをそぎ落としてまで勉強に力を注いできたのに、成績が伸びなくて自分の人生に悲観してしまったからかなと思う」と話し「その時私も悩みに気づいてあげられていれば事件は起こらなかったと思う」と答えた。   

>なぜ気づけなかったかについては、「両親の目が、他のきょうだいの受験や世話に向いてしまった」とした。   

>父親は「本人は自分本位な考え方しかできなくなっていた。   

>自分や妻がもっとコミュニケーションを取っていれば」と答えた。   

> 今後について父親は「どんな処分が出ても、僕らがそばにいて、彼を見てあげないといけないと思っている。   

>医療的な支援なども借りて、起こしたことを一生忘れないように、成長を見届けていきたい」とした。   

>更生にあたり息子の直すべき部分については「人の意見に耳を傾けること。   

>自分を肯定できる考え方を身につけさせること」とした。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

 

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閲覧数154 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/11/17 20:53
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