昔の自分の作品をデジタル化中です。30年ほどまえに,社内報の巻頭言に、更に昔の山行きを思い出して書いたものです。1頁という限定があるために大分端折ったようですが。
一緒に行った友人とは、前の会社の同じ職場の2年先輩です。もう年賀状のやりとりだけになっています。
トグロを捲いた場所で撮った写真もあったので、少しカビが生えていますが、貼り付けておきます。
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研究棟二階の研究室は細長い形で一つの長辺が全面窓になっている。ほとんどの人が窓に向けて机を置いているので窓の外の視界が広い。私の机は右端の窓に面していてその窓のやや右寄りに高根山の頂上が見え、そこから派生する尾根が左の窓に続き、落ち着いたながめになっている。雨上がりには霧が谷あいを頂上の方へ上って行ったり、またある夕方には畑から立ち上る煙が中腹に漂っていたりして、なかなか良い景色である。惜しいことには山はだが夏も冬も同じ線色をしており、榛原周辺の風景は季節感に乏しい。しかし山に恵まれた静岡の秋は豊かである。
何回かの秋の山行の中で最も印象の深かったのは、南アルプスの最南端光岳から井川湖に延びる尾根にある大無限山・小無限山を縦走した時である。
友人と二人で東海道線を夜行でやって来て寸又峡温泉でバスを降りたころはもう日が高かったようだ。寸又ダムまで入っていたトロッコに当時はまだ乗せてもらえなかった二人は、営林署に対する不平をブツプツ言いながらレールの上を歩き出した。しかし道が寸又峡の中腹を通るようになると二人の不満は消えてしまった。谷間全体が紅葉していて、はるか足元の緑のふちが美しく映えてふちの上には釣り橋までが添えられている。風が吹くと錦のしま模様がザワザワと動いて行く。トロッコなどに乗らなくてよかった。
寸又ダムから尾根を登り大垂沢小屋へのトラバースに移ったころには日も暮れて、夕立後の空気はすっかり冷えていた。頭上は南アルブス特有の苔の垂れ下った大木でうっそうと覆われ、暗い足元には小さなガレ場や歩きにくい木の板が次々と現われた。夜行列車に疲れた二人には実に長いトラバースであり、うんざりして口も聞けなかった。踏み跡がある小さな尾根を回り込もうとしたとたんに我々は紅葉したかんぼくの中にいた。もう日は沈んでいたが今まで暗い所を来た眼には黄や赤の葉がまぶしく、二人の足は自然に止まった。ガスの切れ間に光岳の双峰がながめられた。時々ガスとともにやって来る風に揺れる木の葉は、我々をぬらした。二人は黄昏の紅葉の中に立ち尽くしていた。 【ここで1日分の文を削除したと推測される。】
その日の泊り場三隅小屋はやっと雨がしのげる程度の半壊の小屋であった。翌日、大無限山・小無限山を通過した二人は、井川湖に向かって下る尾根のあるピークでとぐろを巻いていた。途絶えがちな躇み跡探しもあと少しである。ウィスキーのたっぶり入ったレモンティーが疲れたからだに回って、二人ともひっくり返っていた。紺碧の空には一点の雲もない。両側の谷間は深く周囲の山々は青くかすんでいる。目前の谷間に向かって突き出た小枝についている葉は逆光に映えて燃えるように赤い。空気はそよとも動かず暖かい。限を閉じて、シュッツの作曲した「ムジカリッシェ・エクセクヴィエン」の中の天と地の二重合唱を頭の中でたどっていると、至福とはこのようなものかと思われた。十数年昔のことである。
山行で見た紅葉はいわゆる観光地のものほど立派でなくても印象が深いようだ。
我々の研究開発の仕事も苦労が多いほど完成時の喜びが大きいだろう。七難八苦を願うわけではないが、その喜びを目指しつつファイトを燃やしたい。