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2010年05月24日(月) 
2、3月ごろに無性に実家に帰りたくなった。
急に。
でも、いつのまにかその感情は消えていった。
今思うと、帰っていればよかった。

先週水曜日の夜行バスに乗って、実家に帰った。
「5ヶ月間がんばってきたごほうびに」、と彼に言われたから。
ラッキーに会うのを楽しみにして帰った。
そしたら、大変なことが起きていた。

実は、2月5日に母が家の階段から落ち、首の骨を折った。
頭からたくさんの血がでて、即緊急入院。
「星野富弘さん」と同じ状態のけが。
1ヶ月の入院生活を経て、退院。

その間、父は2ヶ月会社を休み、母の看病をした。
病院には毎日顔を出し、母の世話。
退院後も。
毎朝4時20分におきて、ラッキーの散歩。
食事の用意、買い物、洗濯、掃除。
片道2時間の通勤時間。
とてもしんどかったと思う。
誰にも弱音を吐かず。
「お母さんは、お父さんの太陽なんだから、笑ってないと」と、母を励まし。
尊敬する人間、父。
又生まれ変わったら、私の父でいてほしい、父。
そんな父に愛されている母。

「あたしに言うと心配するから、黙っておいて」、と母は父に頼んだらしい。

何も知らずに、のほほんと2月、3月をすごしていた自分が
悔しかった。
何も気づけなかった。
電話で話す母の声は、いつもと変わらず元気だったから。

本当は今週もそばにいたかったけど、
両親そろって、「帰りなさい」といわれたので今朝帰ってきた。

「せっかく宇治での生活のリズムができたんだから、復帰しようとがんばっているんだから、今そのリズムを崩してはだめ」
「お母さんには、お父さんがいるから大丈夫」
「5月末をもって、お父さんは退職するし」、
と言われ。

おととい彼が「お見舞い」に来てくれたから、昨夜一緒に夜行バスに乗って帰ってきた。

母が、生きていてよかった。
それだけで、奇跡。
言語障害もない。
歩くこともできる。
話すこともできる。


気温が低くなると、手がちくちくと刺されるような痛みがある。
まだ首を自由に動かすことができない。
気持ちも弱くなる。
そんな母を見て、
あたしは、
湯たんぽをつくり、背中や腰をさすり、明るい話をすることしかできない。
父の負担を減らすために、
家事、炊事、掃除、ラッキーの散歩、できるだけしてきた。
ごはんとおかずをできるだけ作っておいてきた。

実家にいる間は、
たくさん笑ってきた。
母のいないところで、夜、たくさん泣いた。
母のつらさ
父のつらさを思うと、涙が止まらなかった。
泣きつかれて、頭が痛くなった。

今のあたしにとって、
「彼となかよく暮らすこと」
「元気になって、復職できること」
これが、親孝行なのだと納得し、宇治に帰ってきた。

次は、8月に帰省予定。
ここ3ヶ月で驚異的に回復してるよ。
だから、ゆっくり元気になってね、お母さん。

あまり、無理しないで、お父さん。

お母さんとお父さんをよろしくね、ラッキー。

家族が好き。

閲覧数848 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2010/05/24 09:14
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2010/05/28 22:21
    rakuenさん

    ただいまです。

    今私は幸せなので、未来も幸せだと思います。
    周りの人に助けられています。
    そんな人たちに、めぐりあえています。

    今、病気で体調が悪いときもありますが、負けません。
    つらさがわかってもらえなくても、落ち込まない。
    きっとよくなるから、諦めない。

    次項有
  • 2010/05/28 21:12
    rakuenさん
    お帰りなさい

    親が与える愛情表現と子供が求める愛情表現に差が有るだけで何ですよね

    自分が変われば周りが世界が変わるです私も11年前に少し変われて今の幸せが有ります
    次項有
  • 2010/05/26 19:39
    うさきょんさん 

    こんばんは。
    うさきょんさんのお父さんも、かなりスパルタだったんですね。
    お察しします。

    でもね、母への気持ちがこんな風にいいように変わるまで、
    だいぶ時間がかかりましたよ。
    私は、そんなできた人間じゃないから。


    次項有
  • 2010/05/26 08:26
    はるちょんさん

    えらいですね。
    自分を変えなくちゃと思って、変えられたんですものね。
    天晴れです。

    うちは父が厳格で難儀しました。
    そのくせ、教育は母に任せてあるといい、思うように勉強が出来ないと母を叱るんです。その状態を四六時中見せられて、私は母を困らせないように、妹はその現場を見ないように夜中まで帰ってきませんでした。

    父は何が起こっても全て母、私、妹のせいでした。
    「わしはお前らのために働いてやってるのに、何でちゃんと(それは父の理想像でしかないのですが)なられへんのや!」と、怒り倒してました。
    父の理想はたくさんあるのですが、一番顕著だったのは、私が京大に行くことでした。費用はかけないで(自力で勉強しろ!)ですからね・・・京大以外はなんでも一緒って思ってて。
    自分で無理ってわかりますから、無駄な戦いはしませんでしたけど・・・

    そして、とっとと死んで行きました。58で。
    申し訳ないですが、「生きててくれたらよかったのに」と思ったことはありません・・・
    呪縛から逃れられたとしか思えていない・・・
    もう20年。

    はるちょんさんのように、「生きててくれてありがとう」と思えるって素晴らしいと思います。
    さすがです。
    次項有
  • 2010/05/25 19:01
    まあさん

    あったかい言葉を、ありがとう。
    「親孝行、したい時には親はなし」にならない前に、
    気づくことができてよかった。

    次は、夏に帰省します。
    母と父は、庭に大玉スイカを植えたので、
    スイカ割りが楽しみです。
    もちろん彼が目隠しをして。
    ラッキーが、スイカを守っているそうです。
    ラッキーとは、(はるちょんの写真のわんこ)。
    次項有
  • 2010/05/25 00:30
    はるちょんさん こんばんは~。
    大変だったんだね。
    お父さんもお母さんも大切って思えるのは
    はるちょんさんが、いま、生きててうれしこと、楽しいことがあるから。
    優しい彼がそばにいてくれるから。
    そんな時、人は、親や先祖やまわりのすべてのものに感謝できるように思います。
    わたしもそうであります。
    ひどい幼少時代もなにもかも、どーでもよくなり、いま、生きていることが嬉しい人になりたいと思いながらいてます。
    だって、過去は変えられない。
    そしてじぶんを大切に愛せてこそ、きっと周りも幸せにできると最近思う。
    お父さんもお母さんもはるちょんさんの幸せをこころから祈ってはる。心配かけたくないって。
    いろいろ心配もあるかもしれないけど、別のレールを走っているから助けられることもあるから、はるちょんさんが元気でいるのが一番大切だと思う。
    人生に無駄なことは一切起らない。すべて必然。
    なにもかも、きっと、末にはうまくいく。
    大切なエッセンスになるからね。(^^)v
    わたしもそんなことを思いながらじじ様(父)を一応大切にしています。(^^)
    次項有
  • 2010/05/24 19:41
    うさきょんさん

    私の母は、とっても厳しくて、いわゆる「スパルタ教育ママ」だったので、私は母のことがあまり好きではなかったのです。
    期待にこたえられていた時はよかったのですが、
    人間、限界がありまして。

    11歳の時に、
    「あたしはお母さんのロボットじゃない」と切れて、
    それ以来20歳まで口をききませんでした。
    父のことは大好きだったので、すべて父を頼っていました。
    自分で考えて、父に相談。
    自立の早い子どもでした。


    でも、20歳を過ぎた頃に、「これじゃいかん」と思い、
    他人を変えることはできないから自分を変えようと努力してきました。

    私が過労により病気になった時、実家で静養している時に、
    初めて母との距離が近くなりました。
    もちろん衝突もあったけれども、
    とっても近くなりました。
    大切な存在だと思いました。

    だから、今回の事故の時、
    改めて
    生きているだけでよかった。ありがとう。

    と思うことができました。

    悪い出来事も、後から冷静に考えたら、
    いい意味をもつものだと思います。
    だから、私は自分が病気になってよかったと思っています。
    神様からの長い夏休みを頂き、
    家族とも仲良くなり、
    人との関係も広がり、
    四季を感じ、
    料理やパン作りに興味をもち。

    病気になって、学んだことは書ききれないくらいです。

    ゆっくりまったり生きます。
    幸せになるために、生まれてきたんだから。
    次項有
  • 2010/05/24 18:44
    びっくりされたことでしょう・・・
    でもよかったですね。
    深いご夫婦の愛に感涙~
    はるちょんさんは素晴らしいご家族に見守られていらっしゃいますね。

    ここで気張りすぎたら、はるちょんさんが心配。
    大きな気持ちでお父様に任せて、まずは自分の立て直し!
    ゆっくりまったりですね!
    次項有
  • 2010/05/24 16:07
    大仏さん

    ただいま。

    父は何でもできるので、心配はありません。
    オールマイティ人間なので。
    しかし、ずっと続けると大変だと思います。

    両親にごはんを喜んでたべてもらったのが、
    嬉しかったです。
    次項有
  • 2010/05/24 11:10
    大仏さん
    はるちょんさん

    お帰りなさい。

    無性に帰りたいと思って居た事で想像を絶するような事態に
    その気持ちをお察し致します。

    一日ずつ回復に向かっていく事を願うのがはるちょんさんの
    全身からの祈りが離れても通じると。

    お父様のお気持ちもそれを越えて愛する人を一心に守る為に
    看護の日々なのでしょう。
    必ず回復に向かわれると願い、はるちょんさんもご自分の体を
    大事にして下さいね。

    元気であれば帰省した時お父様をゆっくり休ませてあげる事が
    出来ます。

    沢山作ったおかずでどんなに喜んで涙で頂かれた事かと
    思い優しいはるちょんさんに幸あれと
    祈ります。無理しないでね。
    次項有
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